杉並区の桜の名所・善福寺川緑地公園に、今年もお花見のシーズンがやってきました。
(というか、もうシーズンが終わりそうですが)

全長約4.2kmあるという善福寺川沿いは桜並木になっていて、
この時期、満開の桜がびっしりと咲く様子は、それはもう美しく刹那的で幻想的なのです。
でも、今年の公園は、ちょっと様子が違っている。

現在、公園は工事中なのだった。
※ちなみに工事しているのは公園内の一部(「なかよし広場」のあたり一帯)です。
それ以外のところではお花見とかは普通にできます。
公園のなかよし広場はフェンスでぐるりと覆われて、中に入ることは許されない。

ふだん子供たちが野球をしたり、滑り台で遊んだりしてにぎわっている広場は
がらんとして、しいんと静まりかえっている。
このフェンスはなんだか国境みたいだと、ぼんやりと思った。
昔、旅をしたときに、イスラエルのパレスチナ地区に行ったことがある。
イスラエルとパレスチナの居住区の間に立ちはだかる壁の風景が
ふと頭にぼんやり浮かんだ。
ここの公園には樹がたくさんあって、行くと季節の移り変わりを肌で感じることができる。
公園では、ジャングルジムに登ったり、いつもいる野良猫が元気かたしかめたり、
ベンチに座って上を見ながらぼーっとしたりする。
なんとなく私にとって、一週間の区切りというか、リセットをする場所になっている。
それは、今からさかのぼって12月頃のこと。
週末、いつものように公園に行った。

なんだか、いつもと様子が違っている。
公園内のほとんどの木に、ラミネートされた紙がくくり付けられていた。
ひとつずつ見てみると樹の種類や樹齢などによって、
「移植」「伐採」「剪定」と記入された3種類の紙が貼り分けられている。

なんでも、増水時のための地下貯水池を作る工事が行われるらしく、
そのために、樹を移植したり切ったりする、ということのようだ。
ここには大きくてりっぱな樹がたくさんあるので、
何十年もかかってここまで成長した樹を切ってしまうのは、
すごくもったいないけど仕方ないのかな・・・と思っていた。
そして、今年の1月1日にも、近所の神社に初詣に行きがてら、公園に立ち寄った。

ベンチに座ってぼーっとしていると、向こうからおばあさんが
前かがみになり腰をまるめて、手押し車を押しながら、ゆっくり、ゆーっくり、こちらに歩いてくる。
私が座っているベンチのところまで来て、おばあさんはよっこらしょと私の隣に座った。
「ここの樹を全部切っちゃうなんて、まったくひどいことをするもんだ。
貯水池は、昔環七のほうに大きいのを作ったんだから、ここに新しく作る必要なんてない。
石原慎太郎が都知事を辞める前に、選挙資金を作るために、この工事を決めたのよ。
あの家からは3人も選挙に出るっていうんで、お金がたくさんかかるから。
水戸黄門とか遠山の金さんに出てくる悪代官っていうのは、今もいるんだね。
昔からなーんにも変わっちゃいない。」
と、おばあさんは、ひとり言のようにひといきに話した。
わたしが「悲しいですね」と言うと、おばあさんは「悲しいわよぉー」と言った。
さらに、「あたしはこの歳まで生きてきて、こんなひどいものを見せ付けられて、
石原都知事がどこに住んでるか知らないけど、家の壁に犬のフンでも投げつけてやりたい。
あの人のところに行って、目の前で首吊りでもしてやりたい気分。」
と言った。
きっと、工事のことがくやしくて、おばあさんにとってはあまりにも不条理なできごとで、
誰かに話さずにはいられないのだろう。
ひとしきり10分くらい話したところで、おばあさんは、よっこらしょと立ち上がって、
またゆっくりゆっくり、歩いて去っていった。
気がづくと、体が芯から冷え切っていた。
それからまたしばらくして、1月の週末に大雪が降った。
私は公園が真っ白になっている風景をどうしても見てみたくて、
雪が降りしきる中、公園に行ってみた。
東京の雪は、ひと粒ずつが大きくて湿っていて重たい。
長靴でズボズボ雪にぬかって滑りながら、やっとのことで公園にたどりついた。

公園には誰もいなかった。
数人の子供たちが、キャーキャー叫びながら雪だるまを作ったりブランコに乗っている。
いつもいるホームレスのおじさん数人は、公園の中の屋根のある場所に避難している。
雪の重さで木の枝がたくさん折れていた。

足跡がまばらにあるだけで、あたりは真っ白だった。
野良猫はどこにいるんだろう。

そして先週公園に行くと、川沿いにあった桜の樹(フェンスの内側の部分)が、
すっかりきれいに伐採されて無くなっていた。

あのおばあさんは、今でも毎日散歩に来ているのかな。
満開になった桜の樹を見て、何を思っているだろうか。

いつもいる野良猫は、どこかのおじさんが置いていったかと思われるジャンパーの上で
ぬくぬくと暖かそうにまるくなって寝ていた。
(というか、もうシーズンが終わりそうですが)

全長約4.2kmあるという善福寺川沿いは桜並木になっていて、
この時期、満開の桜がびっしりと咲く様子は、それはもう美しく刹那的で幻想的なのです。
でも、今年の公園は、ちょっと様子が違っている。

現在、公園は工事中なのだった。
※ちなみに工事しているのは公園内の一部(「なかよし広場」のあたり一帯)です。
それ以外のところではお花見とかは普通にできます。
公園のなかよし広場はフェンスでぐるりと覆われて、中に入ることは許されない。

ふだん子供たちが野球をしたり、滑り台で遊んだりしてにぎわっている広場は
がらんとして、しいんと静まりかえっている。
このフェンスはなんだか国境みたいだと、ぼんやりと思った。
昔、旅をしたときに、イスラエルのパレスチナ地区に行ったことがある。
イスラエルとパレスチナの居住区の間に立ちはだかる壁の風景が
ふと頭にぼんやり浮かんだ。
ここの公園には樹がたくさんあって、行くと季節の移り変わりを肌で感じることができる。
公園では、ジャングルジムに登ったり、いつもいる野良猫が元気かたしかめたり、
ベンチに座って上を見ながらぼーっとしたりする。
なんとなく私にとって、一週間の区切りというか、リセットをする場所になっている。
それは、今からさかのぼって12月頃のこと。
週末、いつものように公園に行った。

なんだか、いつもと様子が違っている。
公園内のほとんどの木に、ラミネートされた紙がくくり付けられていた。
ひとつずつ見てみると樹の種類や樹齢などによって、
「移植」「伐採」「剪定」と記入された3種類の紙が貼り分けられている。

なんでも、増水時のための地下貯水池を作る工事が行われるらしく、
そのために、樹を移植したり切ったりする、ということのようだ。
ここには大きくてりっぱな樹がたくさんあるので、
何十年もかかってここまで成長した樹を切ってしまうのは、
すごくもったいないけど仕方ないのかな・・・と思っていた。
そして、今年の1月1日にも、近所の神社に初詣に行きがてら、公園に立ち寄った。

ベンチに座ってぼーっとしていると、向こうからおばあさんが
前かがみになり腰をまるめて、手押し車を押しながら、ゆっくり、ゆーっくり、こちらに歩いてくる。
私が座っているベンチのところまで来て、おばあさんはよっこらしょと私の隣に座った。
「ここの樹を全部切っちゃうなんて、まったくひどいことをするもんだ。
貯水池は、昔環七のほうに大きいのを作ったんだから、ここに新しく作る必要なんてない。
石原慎太郎が都知事を辞める前に、選挙資金を作るために、この工事を決めたのよ。
あの家からは3人も選挙に出るっていうんで、お金がたくさんかかるから。
水戸黄門とか遠山の金さんに出てくる悪代官っていうのは、今もいるんだね。
昔からなーんにも変わっちゃいない。」
と、おばあさんは、ひとり言のようにひといきに話した。
わたしが「悲しいですね」と言うと、おばあさんは「悲しいわよぉー」と言った。
さらに、「あたしはこの歳まで生きてきて、こんなひどいものを見せ付けられて、
石原都知事がどこに住んでるか知らないけど、家の壁に犬のフンでも投げつけてやりたい。
あの人のところに行って、目の前で首吊りでもしてやりたい気分。」
と言った。
きっと、工事のことがくやしくて、おばあさんにとってはあまりにも不条理なできごとで、
誰かに話さずにはいられないのだろう。
ひとしきり10分くらい話したところで、おばあさんは、よっこらしょと立ち上がって、
またゆっくりゆっくり、歩いて去っていった。
気がづくと、体が芯から冷え切っていた。
それからまたしばらくして、1月の週末に大雪が降った。
私は公園が真っ白になっている風景をどうしても見てみたくて、
雪が降りしきる中、公園に行ってみた。
東京の雪は、ひと粒ずつが大きくて湿っていて重たい。
長靴でズボズボ雪にぬかって滑りながら、やっとのことで公園にたどりついた。

公園には誰もいなかった。
数人の子供たちが、キャーキャー叫びながら雪だるまを作ったりブランコに乗っている。
いつもいるホームレスのおじさん数人は、公園の中の屋根のある場所に避難している。
雪の重さで木の枝がたくさん折れていた。

足跡がまばらにあるだけで、あたりは真っ白だった。
野良猫はどこにいるんだろう。

そして先週公園に行くと、川沿いにあった桜の樹(フェンスの内側の部分)が、
すっかりきれいに伐採されて無くなっていた。

あのおばあさんは、今でも毎日散歩に来ているのかな。
満開になった桜の樹を見て、何を思っているだろうか。

いつもいる野良猫は、どこかのおじさんが置いていったかと思われるジャンパーの上で
ぬくぬくと暖かそうにまるくなって寝ていた。