銀座ニューキャッスルの閉店を聞いた。
今月7月の末、ついに31日で店を閉めるらしい。
食ブログなどのサイトを閲覧していたら、今でも多くの書き込みが続いている。
最期を看取るかのように、切れ目のない来客。連日の行列が続いているらしい。
昭和21年の開店以来、以後66年間続いたらしい。
なにかしら銀座でも和める雰囲気で、ここ2丁目辺りでは、一番好きな一角だったのだが、
懐かしい名店や老舗が次々と撤退しているのも事実。
8丁目の鰯料理専門店いわしやや、6丁目の呉服店くのやが閉店して腰を抜かした。
何気に昭和30年半ばの古い地図を見ていたら、
ニューキャッスルの柳通りから中央通りまで、平成24年の今で残っているのは、
この店とバナナ餃子の天龍と、出版社の実業之日本社ぐらいしかない。
まさに栄枯盛衰です。
今月7月の末、ついに31日で店を閉めるらしい。
食ブログなどのサイトを閲覧していたら、今でも多くの書き込みが続いている。
最期を看取るかのように、切れ目のない来客。連日の行列が続いているらしい。
昭和21年の開店以来、以後66年間続いたらしい。
なにかしら銀座でも和める雰囲気で、ここ2丁目辺りでは、一番好きな一角だったのだが、
懐かしい名店や老舗が次々と撤退しているのも事実。
8丁目の鰯料理専門店いわしやや、6丁目の呉服店くのやが閉店して腰を抜かした。
何気に昭和30年半ばの古い地図を見ていたら、
ニューキャッスルの柳通りから中央通りまで、平成24年の今で残っているのは、
この店とバナナ餃子の天龍と、出版社の実業之日本社ぐらいしかない。
まさに栄枯盛衰です。
ニューキャッスルがカレー屋だと思っている人も多いが、
実のところ、れっきとした喫茶店だ。
古い書物を見ていたら、進駐軍からのコーヒー豆を商っての喫茶店経営、
押すな押すなの大評判店だったとある。
当時はここを、弓町と呼んでいた。
この界隈でできた一番お洒落な純喫茶だったらしい。
森雅之、岡田英次など往年の映画スター達も
よくこのニューキャッスルに三々五々集まっていたとあるから、
よっぽどお洒落な喫茶店だったのだろう。
改装もなく、当時の面影をそのまま残している内装らしい。
天井の照明器具にその片鱗がわずかに伺えるが、謎のままだ。
そして閉店する大きな理由は、
去年の3月の震災による地盤沈下と、店の老朽化らしい。
店頭の屋根は魚の鱗らしい造作だが、右手横に回り込むと
錆びたトタン囲いの外観だ。これでは、地震が来たらひとたまりもないだろう。
実のところ、れっきとした喫茶店だ。
古い書物を見ていたら、進駐軍からのコーヒー豆を商っての喫茶店経営、
押すな押すなの大評判店だったとある。
当時はここを、弓町と呼んでいた。
この界隈でできた一番お洒落な純喫茶だったらしい。
森雅之、岡田英次など往年の映画スター達も
よくこのニューキャッスルに三々五々集まっていたとあるから、
よっぽどお洒落な喫茶店だったのだろう。
改装もなく、当時の面影をそのまま残している内装らしい。
天井の照明器具にその片鱗がわずかに伺えるが、謎のままだ。
そして閉店する大きな理由は、
去年の3月の震災による地盤沈下と、店の老朽化らしい。
店頭の屋根は魚の鱗らしい造作だが、右手横に回り込むと
錆びたトタン囲いの外観だ。これでは、地震が来たらひとたまりもないだろう。
謎。謎、そぅニューキャッスルには多くの謎がある。
100円コインパーキング横から見ると、店舗は屋根の低い部分だけだと推測される。
後ろの部分は住居なのだろうか? 空き部屋なのだろうか?
ものの本によると、物置と住居スペースらしい。
トイレに行くその瞬間に奥の間が見えたとも書いてある。
これまた別の本を読んでいたら、隣の中華店との間に路地があり、
2階へ続く喫茶店があったらしい。
中華屋? またしても古い地図を見ていたら、
コインパーキングの部分は、五十番という店があったらしい。たぶん中華屋だろう。
左隣の天津飯店も中華屋、どちらの路地だったのだろうか。
ちなみに、天津飯店は昭和42年からの営業だとか。
そして次の謎。
天津飯店の屋根の上にある、小さな時計塔。
和光のりっぱな時計台にはほど遠いが、同じセイコーの時計が飾ってある。
残念ながら、時刻は終始8時のままである。いつ止まったのか。
ものの本によると、エアコンの室外機を隠すために時計塔で囲ったとされているが、
ホントだったのだろうか。
路地の奥は、今は無き並木座の映画館の裏口と繋がっていたと推測するが、
ここも今となっては行けぬまま、謎が残るままだ。
100円コインパーキング横から見ると、店舗は屋根の低い部分だけだと推測される。
後ろの部分は住居なのだろうか? 空き部屋なのだろうか?
ものの本によると、物置と住居スペースらしい。
トイレに行くその瞬間に奥の間が見えたとも書いてある。
これまた別の本を読んでいたら、隣の中華店との間に路地があり、
2階へ続く喫茶店があったらしい。
中華屋? またしても古い地図を見ていたら、
コインパーキングの部分は、五十番という店があったらしい。たぶん中華屋だろう。
左隣の天津飯店も中華屋、どちらの路地だったのだろうか。
ちなみに、天津飯店は昭和42年からの営業だとか。
そして次の謎。
天津飯店の屋根の上にある、小さな時計塔。
和光のりっぱな時計台にはほど遠いが、同じセイコーの時計が飾ってある。
残念ながら、時刻は終始8時のままである。いつ止まったのか。
ものの本によると、エアコンの室外機を隠すために時計塔で囲ったとされているが、
ホントだったのだろうか。
路地の奥は、今は無き並木座の映画館の裏口と繋がっていたと推測するが、
ここも今となっては行けぬまま、謎が残るままだ。
そして次の謎。
ニューキャッスル名物の、カライライス(辛来飯)。
調べていくと大阪にも辛来飯を出す店が何軒かあるらしい。
しかも、読みはカライライスやカレーライスではなく、カーライスだ。
その昔日本では、カレーライスは辛来飯と書いていたのか?
ニューキャッスルの辛来飯が元祖なのか、またしても謎。
そして次の謎。
看板ネコのポンちゃんはたぶんメスだと思うが、飼い猫なのか?
しかも店内にいるところを見たことがない。
閉店後は、どうなってしまうのか。
ニューキャッスル名物の、カライライス(辛来飯)。
調べていくと大阪にも辛来飯を出す店が何軒かあるらしい。
しかも、読みはカライライスやカレーライスではなく、カーライスだ。
その昔日本では、カレーライスは辛来飯と書いていたのか?
ニューキャッスルの辛来飯が元祖なのか、またしても謎。
そして次の謎。
看板ネコのポンちゃんはたぶんメスだと思うが、飼い猫なのか?
しかも店内にいるところを見たことがない。
閉店後は、どうなってしまうのか。
なんて妄想をしながら私は、いつもニューキャッスル向かいの
渡辺コーヒー商会の喫茶部に食後の珈琲を飲みに行っていた。ワタナベが閉店した時から、うすうす気づいていた。
いつかはこんな日がくるだろうと。