友人と姉が昔、「恥ずかしい言葉集め」なるバカバカしい遊びで
盛り上がっていたことがありました。
友人が出して来たのは、”一人で抱え込むなよ”
姉はこれ→”飛べ!かすみ草”
”一人で抱え込むなよ”はともかく、”飛べ!かすみ草”は一体どんなタイミングで使うのか?
この二人のあほなやり取りの中でも、これだけは決して言えないやと思ったのが、
堂々の第三位
”ごめん、愛してる”
これ韓国のドラマの題名で、かなり人気があったそうですよ。
いやぁ、よくつけたなぁと思うけど、隣国の人々は、
この「愛」という言葉を使うのに抵抗なさそうですよね。
日本人にはすごく抵抗あります。
映画を題材にした沢木耕太郎さんのエッセイ、
『愛という言葉を口にできなかった二人のために』は、こんな文章で始まります。
それはまだ私が二十代のころだった。あるとき、はるかに年長の作家と酒を呑んでいて、
こんな質問をされたことがある。
「世の中に、愛という言葉を口にしたことがある人と、口にしたことがない人とでは、どち
らが多いんだろう。世の中にというより、日本人には、と言った方がいいかもしれないけど」
沢木さんに質問した作家も、沢木さん自身も、それを口にしたことがないと言います。
それから沢木さんは、アメリカ映画「ブロークバックマウンテン」や「ローマの休日」を
引いて、映画には、多くの《「愛」を口にできなかった者たち》が登場してくる、と。
そのとき、口にできなかった理由はさまざまである。口に出してしまうことの恐れもあり、
相手に対する思いやりもあり、自尊心を打ち負かすことができないということもあるだろう。
自分たちが持っているはずの時間の長さに対する計算違いもあるだろうし、互いの思いの
強さに対する過信があるかもしれない。
韓国ドラマの評価は別にしても、「ごめん」と言わなきゃいけない時には、
「愛している」と言わないのが映画なのかもしれません。
「ブロークバックマウンテン」の主人公二人は、同性愛者のカウボーイ。
本心を口にすれば、彼らの生活と社会的生命は失われます。
「ローマの休日」の王女さまがそう言えば、迷惑を被る人が多すぎる。
そんな強烈なものではないけれど、普通の人の普通の人生にもあった口にしなかった
思いを投影して映画はできているのかもしれません。
新大久保の街にはかつて、百人町撮影所という日本創成期の映画撮影所がありました。
だから、「映画の街」と呼ばれていたそうですよ。
そう言えば、15年ほど前までは、百人町の通りに映画看板の会社がありました。
大きなガレージのような場所に、描きかけの映画看板が立てかけてあって、
前を通る時には、いつもちらっとのぞいたっけ。
いつ頃潰れてしまったのかは、わかりません。
「愛」という言葉を口にできなかった二人のために
著者:沢木 耕太郎
販売元:幻冬舎
(2007-04)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

盛り上がっていたことがありました。
友人が出して来たのは、”一人で抱え込むなよ”
姉はこれ→”飛べ!かすみ草”
”一人で抱え込むなよ”はともかく、”飛べ!かすみ草”は一体どんなタイミングで使うのか?
この二人のあほなやり取りの中でも、これだけは決して言えないやと思ったのが、
堂々の第三位
”ごめん、愛してる”
これ韓国のドラマの題名で、かなり人気があったそうですよ。
いやぁ、よくつけたなぁと思うけど、隣国の人々は、
この「愛」という言葉を使うのに抵抗なさそうですよね。
日本人にはすごく抵抗あります。
映画を題材にした沢木耕太郎さんのエッセイ、
『愛という言葉を口にできなかった二人のために』は、こんな文章で始まります。
それはまだ私が二十代のころだった。あるとき、はるかに年長の作家と酒を呑んでいて、
こんな質問をされたことがある。
「世の中に、愛という言葉を口にしたことがある人と、口にしたことがない人とでは、どち
らが多いんだろう。世の中にというより、日本人には、と言った方がいいかもしれないけど」
沢木さんに質問した作家も、沢木さん自身も、それを口にしたことがないと言います。
それから沢木さんは、アメリカ映画「ブロークバックマウンテン」や「ローマの休日」を
引いて、映画には、多くの《「愛」を口にできなかった者たち》が登場してくる、と。
そのとき、口にできなかった理由はさまざまである。口に出してしまうことの恐れもあり、
相手に対する思いやりもあり、自尊心を打ち負かすことができないということもあるだろう。
自分たちが持っているはずの時間の長さに対する計算違いもあるだろうし、互いの思いの
強さに対する過信があるかもしれない。
韓国ドラマの評価は別にしても、「ごめん」と言わなきゃいけない時には、
「愛している」と言わないのが映画なのかもしれません。
「ブロークバックマウンテン」の主人公二人は、同性愛者のカウボーイ。
本心を口にすれば、彼らの生活と社会的生命は失われます。
「ローマの休日」の王女さまがそう言えば、迷惑を被る人が多すぎる。
そんな強烈なものではないけれど、普通の人の普通の人生にもあった口にしなかった
思いを投影して映画はできているのかもしれません。
新大久保の街にはかつて、百人町撮影所という日本創成期の映画撮影所がありました。
だから、「映画の街」と呼ばれていたそうですよ。
そう言えば、15年ほど前までは、百人町の通りに映画看板の会社がありました。
大きなガレージのような場所に、描きかけの映画看板が立てかけてあって、
前を通る時には、いつもちらっとのぞいたっけ。
いつ頃潰れてしまったのかは、わかりません。

著者:沢木 耕太郎
販売元:幻冬舎
(2007-04)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

早速応えて頂いてありがとうございます。(笑い)
またまた面白い題材を見付けてきましたね。
先ずは「恥ずかしい言葉集め」ですか。
ふむ、世の中には恥ずかしい言葉が溢れてますね。
もっともお姉さん達の言う「恥ずかしい」とは意味が異なりますが。
一番恥ずかしいなと思うのが政治家の使う「不退転の決意で」とかそう言った類の言葉。
言葉自体が恥ずかしいと言うより、彼らが使ってるのが恥ずかしい。
そんな軽々しく使っていい言葉じゃないと思います。
日本の今の政治化と他国、もしくは昔の日本の政治家の大きな違いは「命の危険をともなっているか、それでも政治家として生きていく覚悟があるか?の様な気がします。勿論命の危険なんてない方が正しいんだけど、信用されてない政治家ほど要らない存在はない気がします。
お姉さんの「飛べかすみ草!」はいいですね。
普段めだたない人がここぞと言う時にって感じでしょうか? (笑い)
今度使おう・・・言われた人が困るか?!(笑い)
友達の方の「一人で抱え込むなよ」は場合によっては恥ずかしいどころかとっても大切な一言かも。
年間3万人をこす自分で命を絶つ人がいるんですものね。
「なんで?」って言う人もいるけど、勿論それは「死んだ方が楽だと思えるから」だと思う。