震災の翌週の週末、大阪に行った。
もともと、大阪に行く予定だった。会うべき人がいた。関東でも余震が続き、原発は全く予断を許さず、計画停電もはじまったばかりのときだった。猫を置いて家を空けるのも心配だった。だけど、家の近所にも避難所ができ、そこへ物資提供に赴いたその足で、逃げるように東海道新幹線に乗ってしまった。
東京から電車で2時間半、新大阪駅に着いて街に出る。「明るい」と思った。電気が点いていることもあるが、人々の表情が、明るい、と思った。雨が降っていて少し肌寒かったが、西の街には穏やかな日常があった。少なくとも、街を歩いているぶんには、日常のようなものがあるように見えた。
日常という感覚すらも揺らいでいた。
今まであまりにも幸せすぎて、気づかなかった。
あたりまえのことなんて、何ひとつなかったんだ。
日常とかあたりまえとかを全部とっぱらったとき、大切なものは何だろう、そんなことを考えながら、雨の降る大阪の街を歩いた。
歩き疲れた夜、中崎町に行った。いいカフェがあるという。小さな家やアパートが立ち並ぶ、狭い路地に入っていく。雨の湿気を含んだ空気が、家々の洗濯の匂いや夕ごはんの匂いを運んでくる。
着いたのは、「R cafe」。古い家を利用したリノベーションカフェだ。狭い階段をのぼり、2階へ。屋根裏だ。秘密基地みたいで懐かしい気分になる。メニューは古いレコードに書かれていた。店内には「ハナレグミ」が流れている。
カフェオレを注文する。懐かしいブルボンの「ルマンド」がひとつついていた。ルマンドをかじる。あたたかいカフェオレを飲む。心と身体が温まる。
3月11日からずっと続いていた緊張感が、はじめて、少し解けた。
そして、涙が止まらなくなった。
*
あれから一か月半が経った。もう二度と戻って来ないと思った日常が、ほぼ、戻ってきた。だけどまだまだやるべきことがある。そしてこの先、何が起きるかは分からない。
日常生活は戻ってきたが、価値観は、変わった。
自分にできることを見つけ、実行しながら、大切なものにちゃんと向き合って生きていたい。
R cafe
大阪府大阪市北区中崎西4-1-20
080-3539-8466
8:30~18:30(L.O18:00)
土日祝~19:30(L.O19:00)
火・第3月休
http://rcafe.littlestar.jp
もともと、大阪に行く予定だった。会うべき人がいた。関東でも余震が続き、原発は全く予断を許さず、計画停電もはじまったばかりのときだった。猫を置いて家を空けるのも心配だった。だけど、家の近所にも避難所ができ、そこへ物資提供に赴いたその足で、逃げるように東海道新幹線に乗ってしまった。
東京から電車で2時間半、新大阪駅に着いて街に出る。「明るい」と思った。電気が点いていることもあるが、人々の表情が、明るい、と思った。雨が降っていて少し肌寒かったが、西の街には穏やかな日常があった。少なくとも、街を歩いているぶんには、日常のようなものがあるように見えた。
日常という感覚すらも揺らいでいた。
今まであまりにも幸せすぎて、気づかなかった。
あたりまえのことなんて、何ひとつなかったんだ。
日常とかあたりまえとかを全部とっぱらったとき、大切なものは何だろう、そんなことを考えながら、雨の降る大阪の街を歩いた。
歩き疲れた夜、中崎町に行った。いいカフェがあるという。小さな家やアパートが立ち並ぶ、狭い路地に入っていく。雨の湿気を含んだ空気が、家々の洗濯の匂いや夕ごはんの匂いを運んでくる。
着いたのは、「R cafe」。古い家を利用したリノベーションカフェだ。狭い階段をのぼり、2階へ。屋根裏だ。秘密基地みたいで懐かしい気分になる。メニューは古いレコードに書かれていた。店内には「ハナレグミ」が流れている。
カフェオレを注文する。懐かしいブルボンの「ルマンド」がひとつついていた。ルマンドをかじる。あたたかいカフェオレを飲む。心と身体が温まる。
3月11日からずっと続いていた緊張感が、はじめて、少し解けた。
そして、涙が止まらなくなった。
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あれから一か月半が経った。もう二度と戻って来ないと思った日常が、ほぼ、戻ってきた。だけどまだまだやるべきことがある。そしてこの先、何が起きるかは分からない。
日常生活は戻ってきたが、価値観は、変わった。
自分にできることを見つけ、実行しながら、大切なものにちゃんと向き合って生きていたい。
R cafe
大阪府大阪市北区中崎西4-1-20
080-3539-8466
8:30~18:30(L.O18:00)
土日祝~19:30(L.O19:00)
火・第3月休
http://rcafe.littlestar.jp