♥ 市杵島姫って誰 ♥
さ、謎がまた増えました。
市杵島姫(いちきしま ひめ)って誰なんでしょうか。
この人は広島の【厳島(いつくしま)神社】に祀られています。
市杵島姫の「いちきしま」は神社の名前から来ているようです。
お母さんは卑弥呼(ひみこ)。
お父さんは須佐之男(すさのお)。です。
神話では姉弟の誓約(うけい=古代の占い)のとき
生まれたとされています。
三女神のひとりです。
卑弥呼と須佐之男は姉弟(きょうだい)ではなく
夫婦でしたから、子供だってできます。
♥ 須佐之男は出雲から九州へ ♥
須佐之男は出雲を出た後、九州へ向かいました。
中国や韓国への玄関口だった対馬と壱岐をまず、おさえます。
それから北九州を固めました。
福岡・長崎・大分・佐賀あたりには
出雲系の神社がうじゃうじゃあります。
そして次に目指したのは南九州です。
須佐之男が上陸したのは日向(ひゅうが)の油津(あぶらつ)港。
大歳(おおとし=にぎはやひ)は熊本方面から進軍しました。
挟み撃ち状態です。

油津港は宮崎県の「日南」と書いてあるあたりです。
ちょうど都城(みやこのじょう)あたりでがんばっていたのが、
伊邪奈美(いざなみ)・伊邪奈岐(いざなぎ)の
日向(ひゅうが)族でした。
卑弥呼はこのふたりの子供です。
当然、日向族は須佐之男のうわさを耳にしていたでしょう。
「なんか、すごい人がやってくるらしいよ」と。
悔しいけれど、日向族としては、
降伏するしかなかったのでしょう。
♥ 須佐之男は出雲から九州へ ♥
けれども、須佐之男が突きつけて来た条件というのは
卑弥呼との結婚だったのです!
さあ、たいへん。
なにしろ卑弥呼は結婚してましたから。
しかも子持ち。
このときには三人の男の子の母親でした。
ひとりめは天忍穂耳(あめ の おしほみみ)。
ふたりめは天穂日(あめ の ほひ)。
三人目は邇邇芸(ににぎ)。
2番目の天穂日は出雲へ送られています。
これが須佐之男の命令だったのか、
自主的にそうしたのかは謎です。
たぶん天穂日はまだ幼かったのでしょう。
おばあちゃん(伊邪奈美)が付き添っていくことになりました。
ところがです。
その伊邪奈美が出雲についてすぐに亡くなってしまうんです。
この話が伊邪奈岐の「黄泉(よみ)の国」神話として
語りつがれているんでしょうね。
これには須佐之男もかなりショックを受けたようです。
というより記紀(古事記と日本書紀)をつくった人達にとって
衝撃だったのかもしれません。
夫の伊邪奈岐は死の原因となった
火の神・火之迦具土(かぐつち)を斬り殺してしまいます。
じつは、このカグツチ、須佐之男の別名でもあるのです。
日向族の怒りにみちあふれたエピソードです。
出雲では旧十月を「神在月(あみありづき)」と言います。
一般的には「神無月(かんなづき)」ですよね。
神々が出雲に集まるから「神在」なんですが、
この行事、伊邪奈美の命日を記念して行なわれているそうです。
この神というのは首長さんのことですよ。
今でいえば、知事みたいな人でしょうか。
昔はいろいろな場所から人が出雲に集まったのです。
♥ 三女神を生んだのは宇佐 ♥
さて、子供が三人いた卑弥呼です。
次は女の子を須佐之男との間に生みます。
卑弥呼は20歳くらい。
須佐之男は50歳くらいでした。
このとき、どこに住んでいたかというと、
大分県宇佐市の「安心院町(あじむ まち)」。
上の地図を見てください。
赤い↓のついているあたりが
安心院町だった所です(今はありません)。
「宇佐」は須佐之男時代の九州の都でした。
【宇佐神宮】(宇佐市にあります)は応神天皇と
その母の神功皇后をお祀りしています。
また「比売大神(ひめ おおかみ)」として
三女神を祀っています。
その三人とは誓約(うけい)で生まれた子供達
多紀理姫 (たぎり ひめ)
市杵島姫(いちきしま ひめ)
瑞津姫(たぎつ ひめ)です。
市杵島姫は出雲にある【八重垣(やえがき)神社】の
壁画にも残されています。
出雲の神々ーーたとえば、須佐之男・稲田姫・稲田姫の母=手名槌(てなづち)・父=足名槌(あしなづち)ーーに混じってなぜ、卑弥呼(天照大神)と市杵島姫がいるのでしょうか。
答えはトヨウケのお母さんだからです。
それにしても稲田姫と卑弥呼を一緒に描くなんて、
けっこう罪が深いですよねぇ。
一番上の多紀理姫は別名を
木花開耶姫(このはなさくや ひめ)と言います。
【浅間(せんげん)神社】の神様です。
東急多摩川線の多摩川にもこの神社はあります。
春になると、桜がきれいです。
また、この人は三穂津姫という名前も持っています。
大己貴(おおなむち)の奥さんでした。
子供に事代主(ことしろぬし)がいます。
でも、ちょっと待って。
大己貴には奥さんがいませんでしたっけ。
そうなんです。
須勢理姫という人が。
では、今日はこの辺で。
(つづく)
さ、謎がまた増えました。
市杵島姫(いちきしま ひめ)って誰なんでしょうか。
この人は広島の【厳島(いつくしま)神社】に祀られています。
市杵島姫の「いちきしま」は神社の名前から来ているようです。
お母さんは卑弥呼(ひみこ)。
お父さんは須佐之男(すさのお)。です。
神話では姉弟の誓約(うけい=古代の占い)のとき
生まれたとされています。
三女神のひとりです。
卑弥呼と須佐之男は姉弟(きょうだい)ではなく
夫婦でしたから、子供だってできます。
♥ 須佐之男は出雲から九州へ ♥
須佐之男は出雲を出た後、九州へ向かいました。
中国や韓国への玄関口だった対馬と壱岐をまず、おさえます。
それから北九州を固めました。
福岡・長崎・大分・佐賀あたりには
出雲系の神社がうじゃうじゃあります。
そして次に目指したのは南九州です。
須佐之男が上陸したのは日向(ひゅうが)の油津(あぶらつ)港。
大歳(おおとし=にぎはやひ)は熊本方面から進軍しました。
挟み撃ち状態です。

油津港は宮崎県の「日南」と書いてあるあたりです。
ちょうど都城(みやこのじょう)あたりでがんばっていたのが、
伊邪奈美(いざなみ)・伊邪奈岐(いざなぎ)の
日向(ひゅうが)族でした。
卑弥呼はこのふたりの子供です。
当然、日向族は須佐之男のうわさを耳にしていたでしょう。
「なんか、すごい人がやってくるらしいよ」と。
悔しいけれど、日向族としては、
降伏するしかなかったのでしょう。
♥ 須佐之男は出雲から九州へ ♥
けれども、須佐之男が突きつけて来た条件というのは
卑弥呼との結婚だったのです!
さあ、たいへん。
なにしろ卑弥呼は結婚してましたから。
しかも子持ち。
このときには三人の男の子の母親でした。
ひとりめは天忍穂耳(あめ の おしほみみ)。
ふたりめは天穂日(あめ の ほひ)。
三人目は邇邇芸(ににぎ)。
2番目の天穂日は出雲へ送られています。
これが須佐之男の命令だったのか、
自主的にそうしたのかは謎です。
たぶん天穂日はまだ幼かったのでしょう。
おばあちゃん(伊邪奈美)が付き添っていくことになりました。
ところがです。
その伊邪奈美が出雲についてすぐに亡くなってしまうんです。
この話が伊邪奈岐の「黄泉(よみ)の国」神話として
語りつがれているんでしょうね。
これには須佐之男もかなりショックを受けたようです。
というより記紀(古事記と日本書紀)をつくった人達にとって
衝撃だったのかもしれません。
夫の伊邪奈岐は死の原因となった
火の神・火之迦具土(かぐつち)を斬り殺してしまいます。
じつは、このカグツチ、須佐之男の別名でもあるのです。
日向族の怒りにみちあふれたエピソードです。
出雲では旧十月を「神在月(あみありづき)」と言います。
一般的には「神無月(かんなづき)」ですよね。
神々が出雲に集まるから「神在」なんですが、
この行事、伊邪奈美の命日を記念して行なわれているそうです。
この神というのは首長さんのことですよ。
今でいえば、知事みたいな人でしょうか。
昔はいろいろな場所から人が出雲に集まったのです。
♥ 三女神を生んだのは宇佐 ♥
さて、子供が三人いた卑弥呼です。
次は女の子を須佐之男との間に生みます。
卑弥呼は20歳くらい。
須佐之男は50歳くらいでした。
このとき、どこに住んでいたかというと、
大分県宇佐市の「安心院町(あじむ まち)」。
上の地図を見てください。
赤い↓のついているあたりが
安心院町だった所です(今はありません)。
「宇佐」は須佐之男時代の九州の都でした。
【宇佐神宮】(宇佐市にあります)は応神天皇と
その母の神功皇后をお祀りしています。
また「比売大神(ひめ おおかみ)」として
三女神を祀っています。
その三人とは誓約(うけい)で生まれた子供達
多紀理姫 (たぎり ひめ)
市杵島姫(いちきしま ひめ)
瑞津姫(たぎつ ひめ)です。
市杵島姫は出雲にある【八重垣(やえがき)神社】の
壁画にも残されています。
出雲の神々ーーたとえば、須佐之男・稲田姫・稲田姫の母=手名槌(てなづち)・父=足名槌(あしなづち)ーーに混じってなぜ、卑弥呼(天照大神)と市杵島姫がいるのでしょうか。
答えはトヨウケのお母さんだからです。
それにしても稲田姫と卑弥呼を一緒に描くなんて、
けっこう罪が深いですよねぇ。
一番上の多紀理姫は別名を
木花開耶姫(このはなさくや ひめ)と言います。
【浅間(せんげん)神社】の神様です。
東急多摩川線の多摩川にもこの神社はあります。
春になると、桜がきれいです。
また、この人は三穂津姫という名前も持っています。
大己貴(おおなむち)の奥さんでした。
子供に事代主(ことしろぬし)がいます。
でも、ちょっと待って。
大己貴には奥さんがいませんでしたっけ。
そうなんです。
須勢理姫という人が。
では、今日はこの辺で。
(つづく)