小椋 一葉さんは神社の縁起
(どうしてこの神社は建てられたのか)などを
たんねんにたんねんに読んでいって歴史を読み解きました。

『倭国通史』とは内容が違っているところもありますが、
とりあえずそのまま載せておきます。


♥・・・♥・・・♥

須佐之男は出雲(島根県)の出身です。
どこからやって来たのか、いつごろの人なのか、
分かっていません。

卑弥呼と結婚していたとしましょうか。

『魏志倭人伝』によれば、
卑弥呼は239年に魏に使いを送っています。
歳は「長大」となっていますから、
このとき90歳だったとして148年生まれ。

須佐之男はそれより30歳年上として118年生まれです。


♥ ヤマタノオロチ ♥

小椋さんの推理では
須佐之男は20歳くらいのときに
ヤマタノオロチを退治しています。
ヤマタノオロチといっても大蛇ではありません。
人間です。
地元の豪族で、製鉄所を営んでいました。

オロチに酒を呑ませていい気分になったところで、
姫をさらったのでしょう。
姫って誰かって?
卑弥呼ではありませんよ。

稲田姫(いなだ ひめ)です。

須佐之男は倭人ではありませんでしたから
どーしても地元の有力者に婿入りする必要がありました。
稲田姫手名槌(てなづち)を母に、
足名槌(あしなづち)を父に持つ
山の女神と言われています。

両親の名前に「づち」が入っているでしょ。
あれ、古代の言葉で「蛇」のことらしいんです。

「蛇」は縄文以来、信仰されてきた神様です。
死と復活の神。

須佐之男はそんな蛇の女神との間に
7人の子供をもうけています。
8人と思われているようですが、
7人です。


♥ 須佐之男の子供達 ♥

長男と六男は出雲にいたようなので、
ちょっと置いときましょうね。

次男は、五十猛(いそたける)。

この人はお父さんと一緒に新羅に行っています。
そして木の種を持って帰って来ました。
まず、九州に、それから木(紀伊・和歌山県ですね)の国に播きました。

行動を共にしたのが
三番目の大屋津姫(おおやつ ひめ)と
四番目の抓津姫(つまつ ひめ)です。

五十猛は九州の統治を須佐之男から任されていたようです。
建日別(たてひわけ)」はこの人のことじゃないかと
小椋さんは言ってます。

五男は、ご存知・天照大神 饒速日命
(あまてらす おおみかみ にぎはやひ の みこと)です。

この人は若いころ「大歳(おおとし)」と呼ばれていました。
とくに九州にいたころは「豊日別(とよひわけ)」と言われ、
「豊の国(福岡県の一部と大分県)」を開いた神として
親しまれていました。

ちなみに「白日別(しらひわけ)」は須佐之男です。

末っ子は、須勢理姫(すせり ひめ)。
この人の夫が大己貴(おおなむち)
またの名を大国主(おおくにぬし)と言います。
【出雲大社】に祀られています。

そしてもうひとり、須佐之男の子供として
カウントされているのが、
倉稲魂(うかのみたま)・お稲荷さんです。
トヨウケ(豊受姫)ですね。

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近所の諏訪神社にあった【稲荷社】です。

♥ トヨウケ ♥

じゃあ、トヨウケって、いったい誰なの?

と思うでしょ。
種あかしです。

饒速日(にぎはやひ)がまだ「大歳」と呼ばれていたころ。
出雲で、伎佐貝比売(きさかい ひめ)
という女性とつきあっておりまして。
子供ができたんですね。
その子を狭田彦(さたひこ)と言います。
饒速日の長男です。

さたひこ→さるたひこ(猿田彦)。

になったようですよ。

猿田彦トヨウケのお父さんなんだそうです。

須佐之男饒速日猿田彦
じゃあ、お母さんは? というと、
市杵島姫(いちきしま ひめ)です。

(明日につづく)