毎日午後三時頃まで机に向かい、それから近くの喜久之湯に行く。その間に支度しておいて、夕方から飲み始め、夜九時頃までに、六、七合飲んで…「ブルタス、お前もか」などと言い出して…ご当人は飲みたいだけ飲んで、ぶっ倒れて寝てしまうのである…
明治から昭和にかけ、激動の時代を生き抜いた太宰治。
太宰の死後、美知子婦人による回想記の一部である。
思うような評価も得られず、幾度もの自殺未遂を繰り返していた太宰だが、
美知子夫人と結婚し、1939年よりつかの間の安堵の生活を送ったのが甲府だ。
回想記に見られるよう、彼が毎日のように通ったのが喜久の湯。
時は流れ町並みも激変したろうが、このお湯だけは費えることなく、今日も地元民を癒し続けている。
脱衣所には古風な大型広告がずらり、昭和から止まったままの時間。
そして数々の色タイルが使用された、愛らしい浴室。
珍しいひょうたん型の浴槽は、「丸く向き合い仲良くなるように」という先代自慢の品だ。
おそらく戦後の施工、さすがに太宰の目にした光景と同じというわけにはいくまいが、
半世紀以上も前の文人と同じ湯に浸かるというのは、なんとも不思議な思いを感じる。
甲府は間もなく、桃の季節を迎える。ミシュランの都内ハイキングも素敵だが、
今春はもう少し足を伸ばして、甲府を訪ねてみてはどうだろう。
盆地一面の花に目を癒し、武田氏ゆかりの史跡に心を引き締め、
喜久の湯で今日の疲れを流す。
先人たちの記憶に思いを馳せながらのひとっ風呂というのも、
また粋な甲府の楽しみ方となるに違いない。
○ 喜久の湯温泉
住所 山梨県甲府市朝日5丁目14-6
明治から昭和にかけ、激動の時代を生き抜いた太宰治。
太宰の死後、美知子婦人による回想記の一部である。
思うような評価も得られず、幾度もの自殺未遂を繰り返していた太宰だが、
美知子夫人と結婚し、1939年よりつかの間の安堵の生活を送ったのが甲府だ。
回想記に見られるよう、彼が毎日のように通ったのが喜久の湯。
時は流れ町並みも激変したろうが、このお湯だけは費えることなく、今日も地元民を癒し続けている。
脱衣所には古風な大型広告がずらり、昭和から止まったままの時間。
そして数々の色タイルが使用された、愛らしい浴室。
珍しいひょうたん型の浴槽は、「丸く向き合い仲良くなるように」という先代自慢の品だ。
おそらく戦後の施工、さすがに太宰の目にした光景と同じというわけにはいくまいが、
半世紀以上も前の文人と同じ湯に浸かるというのは、なんとも不思議な思いを感じる。
甲府は間もなく、桃の季節を迎える。ミシュランの都内ハイキングも素敵だが、
今春はもう少し足を伸ばして、甲府を訪ねてみてはどうだろう。
盆地一面の花に目を癒し、武田氏ゆかりの史跡に心を引き締め、
喜久の湯で今日の疲れを流す。
先人たちの記憶に思いを馳せながらのひとっ風呂というのも、
また粋な甲府の楽しみ方となるに違いない。
○ 喜久の湯温泉
住所 山梨県甲府市朝日5丁目14-6