喜与の湯を訪れたのは昨年の師走、2010年もあと数日という年の瀬のことであった。
小山駅にて宇都宮線を下車、下りの水戸線へと乗りこむ。
今年の仕事を片付け郷里へと向かう乗客、暮れ方の水戸線はつかの間の安堵に満ちていた。
 ガタン、ゴトンー
畑と乾田の中を走ること2駅、大荷物たちに混じって底冷えの結城駅へ降り立つ。
 
一般の古い民家と見間違いそうな喜与の湯、外界とを隔てるのは戸一枚。
年内としては珍しい寒波に室内でも上着は手放せないほど、常連客の話も今日の寒さのことばかりだ。
創業70年、結城の町を見守り続けてきた喜与の湯。
さして空襲もなかった結城、戦前からこの建築のままといい、
地方銭湯ならではの小さく質素な空間が残されている。
ここへ嫁いで60年のおかみさん、結城や喜与の湯の歴史について話を伺う。
しかしかつては5軒が存在した結城の銭湯も、もはや喜与の湯が最後の1軒となった。
ここも今では昔からのわずかな常連客が足を運ぶのみ、だが進むばかりは老朽化。
幾多の故障も辛うじて乗り越えてきたものの、それももう限界。
考えたくないことではあるが、次に何かが起きたとき-
おそらくそれが、喜与の湯の最期となるだろう。
 
2階には、かつての休憩室が残されていた。
入浴後のお客さんで賑わったというが、長年使われた様子が無く、止まったままの時間。
しかし色褪せながらもそのまま残された家具類、賑やかな声とともに
今にも下からお客さんたちが上がってきそうな気がしてならなかった。

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○ 喜与の湯
茨城県結城市浦90