今日は朝早くから始発に乗って、銀座3丁目に向かった方も多いと思います。


すでに早朝6時の段階で約300人の大行列

みんな顔がひきつり殺気立っているというではありませんか。


さて話題のビルの1本裏側、ちょうどレストラン「煉瓦亭」の前の通り。

名前を「ガス灯通り」と言います。その名前の由来は??


明治初期、我が国の文明開化のシンボルとして、銀座には多くの煉瓦建築が生まれました。その建物間の通りを灯す街路照明として、ガス灯が使われたのです。

明治7年には、芝金杉橋と京橋の間に85基のガス灯が建てられ、銀座を照らしました。


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それを記念して、いまの「ガス灯通り」に明治のガス灯4基が復元されました(昭和60年)。

燈柱は当時の実物を使用、燈具は忠実に復元したものだとか。


さて当時の明るさはどんな感じだったのでしょうか。

ロウソクの明るさが40ルクスに対し、裸火のガス灯はただ黄色い炎が燃えているだけで、

だいたい60ルクス位だったといいます。


周囲を照らすほど、そんなに明るくはなかったということですね。

それでも暗闇では提灯や行灯やロウソクよりはまだ明るく、

ハイカラで物珍しさも含め、大勢の見物人が集まったといわれています。


ちなみに銀座2丁目のカルティエ前は、電気を使った街灯が建てられた場所だとか。

ここに初めてアーク灯が灯され、不夜城が出現したと記されています(明治15年)。


こちらはガス灯よりも遙かに明るく、まるで昼間のようだと大勢のど肝を抜きました。

しかし考えたら、ガス灯って僅かの命だったんですね。


さてと、アップル社の21世紀最先端ツールがある裏通りに灯る、明治遺産

平成の文明開化と、明治の文明開化

どちらのシンボルも今日も仲良く銀座で共存しています。なんちゃって......つづく



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【銀座3丁目 ガス灯通り】


◎夕方からの銀ブラで、4基の復元ガス灯をぜひ見つけてください。