大阪に住んでいた頃、友達の家二軒で、同じコップにジュースが
入れられていて、「うん?」と思った。
一軒目ではなんとも思わなかったけれど、それからしばらく経って
別の友達の家でも出てきた時に、「うん?」と思った。
それは、ご存知モロゾフの、プリンが入っていた容器だった。


大阪を離れてずいぶん経って、探偵ナイトスクープで
「大阪の家では必ずモロゾフの容器をコップにしている」という回を見た時、
とても懐かしかった。でも少し寂しくもあった。
大阪にいたのはたった3年だったから、我が家は、モロゾフをコップにする
「大阪のお家」にならなかったし、「いつか言えるようになるだろうか?」と
思っていた「飴ちゃん※」も言えるようにならなかった。
高校生になったら、デートで京都に行って、鴨川の川べりをそぞろ歩こうと
思っていたのに、中学のうちに我が家は埼玉へ引越した。


大阪を思い出す時にキーになる品物が再利用品というのは、
大阪に対して申し訳ない気もするけれど、この「再利用品」ほど
心の風景にマッチするものはないと思う。
風月堂のゴーフルが入っていた缶は、お母さんの裁縫箱。
いつか北海道を離れた後、私はきっと手紙入れにしている六花亭の
空き箱を思い出すだろう。


内田百?の『ノラや』にも再利用品が出てくる。


 


静岡土産のわさび漬の浅い桶に御飯と魚を混ぜたのを家内が物置の前に置いてやつた。よろこんで食べたらしいけれど、いつの間にか食べてどこかへ行つてしまつたと云ふ風で、何分野良猫の子だから、物を食べる時は四辺に気を配るらしい。


 


百?先生、家の庭にやってきたこの猫に「ノラ」という名前をつけて飼うことにした。
しかし、ノラと先生の楽しい日々はたった三十数頁で終わりを告げる。


ノラが帰って来ない。


それから、先生の「ノラや」「ノラや」が始まる。
ノラを探してあちらへ、こちらへ、似た猫を見たと聞けば出掛けていく。
新聞に折込広告を入れても見つからない。
愛猫を探して走り回る先生の姿と「ノラや」という悲痛な叫びは、
猫でも、鳥でも、犬でも、大好きな存在がいた人にはよくわかるに違いない。


いつか猫と暮らす日が来たら、静岡土産のわさび漬の浅い桶に
御飯と魚を混ぜて彼の前に置こうと思っても、「ノラや」と
泣かなきゃいけない日のことを考えると二の足を踏んでしまう。


 ※大阪の子はよく飴玉にちゃんをつけます。
「飴ちゃん食べる?」と初めて言われた時びっくりしました。


 



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内田 百けん
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