まだ記憶に新しい事件を題材に、小説を書く作家の気持ちが
さっぱりわからない。


日航機事故を題材にした『クライマーズハイ』にもびっくりしたし、
911や地下鉄サリン事件を題材にした作品にも驚かされた。


事件や事故を分析することは、直後にも必要かもしれないけれど、
それを想像力の世界に乗せるのはどうなのだろう?
どこかの誰かにとって、まだ生々しい痛みであるものを、
「なかった世界」で展開させることは、「変えられたかもしれない過去」と
「あったかもしれない未来」をまざまざと見せつけることになるのに。


なんて考える私も、古い話に対しては、タガが緩む。
事件や事故を題材にした小説を喜んで読んだりする。


実際にあった事故の中でも、小説家の想像力を刺激するのが
大型客船の海難事故のようだ。
タイタニックは、多くの作品に描かれた。
大型客船の事故は、被害者の数が多い。
そして、飛行機事故よりは生存の可能性が高く、
想像の糊しろが大きくなるのだろう。



日本で起きた最悪の海難事故と言えば、洞爺丸事故だ。
1954(昭和29)年9月、日本を襲った台風は、函館沖を
青森に向かって運行中だった青函連絡船洞爺丸を沈没させた。
死者は1155人だったいう。


この事故を題材にした作品がいくつかある。
一番有名なのは、『飢餓海峡』。
推理のトリックに、この事故が使われている。


目白の街が舞台の『虚無への供物』では、この事故で
家族を失った青年が登場する。
孤児になった青年が、目白の氷沼家という親類の家へ
引き取られたことが、殺人事件の口火を切るのだ。


国電の目白駅を出て、駅前の大通りを千歳橋の方角に向うと、
右側には学習院の塀堤が長く続いているばかりだが、左は
川村女学院から目白署と並び、その裏手一帯は、遠く池袋駅を
頂点に、逆三角形の広い斜面を形づくっている。(中略)
行き止りかと思う道が、急に狭い降り坂となって、ふいに
大通りに抜けたり、三叉に別れた道が意味もなくすぐにまた一本
になったりして、それを丈高い煉瓦塀が隠し、繁り合った樹木が
蔽うという具合だが、豊島区目白二丁目千六百**番地の氷沼家は、
丁度その自然の迷路の中心に当たる部分に建てられていた。





氷沼家で起こった殺人事件と、繰り広げられる推理は、
どうも芝居がかっているし、あり得ない設定ばかり。
なんと言うか、読んでるこっちが作者に遊ばれているような
気がしないでもない。
登場人物たちの名前も、蒼司緑司藍司橙二郎紫司郎などなど。
ふざけてるっちゃあ、ふざけてる。
でも、部屋の見取図があったり、色んな人の推理が展開されたり、
多分推理小説好きには楽しめる作品なのではないかと...?
(私はあまり推理小説が得意じゃない・・・無責任だけど)


 


                   虚無への供物〈上〉 (講談社文庫)虚無への供物〈下〉 (講談社文庫)


虚無への供物〈上〉 (講談社文庫) 虚無への供物〈下〉 (講談社文庫) 


 


さて、さて、次のトーキョー散歩はどこへ行こうかな?
この『虚無への供物』の中には、目白のほかに、
目黒、世田谷区太子堂、駒込浅香町、台東区三ノ輪が出てくる。
五つに共通するのが何かわかる人は、かなりの東京通!
私は、この本で初めてその存在を知った。