それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。D坂の大通りの中ほどにある、白梅軒という、行きつけのカフェで、冷しコーヒを啜っていた。当時私は、学校を出たばかりでまだこれという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽ると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからぬカフェ回りをやるくらいが、毎日の日課だった。
こうして始まる『D坂の殺人事件』は、カフェで冷しコーヒを啜る「私」と「近頃この白梅軒で知合になった一人の奇妙な男」明智小五郎とが、カフェの向かいの古本屋で起きた殺人事件について、あれこれ推理を廻らす話である。
この古本屋にはモデルがある。大正八年、乱歩が弟二人と本郷駒込に開いた三人書房だ。彼の人生記録『貼雑年譜』の中に自筆の説明がある。
東京市本郷区駒込林町六番地(團子坂上)
この「團子坂」こそ「D坂」だ。都市論としてこれを読み解いた『乱歩と東京』の中で松山巖さんは、
「D坂の殺人事件」が想定している大正八、九年は、東京がその歴史のなかで都市から大都市へと移り変る、いわばひとつの節目を通りすぎたばかりの時期であった。都市が大都市へと変貌するには、都市周辺の人々を吸い寄せる力を持たなければならない。
と言っている。この本で、大正九年、初めて行われた国勢調査の数字を用いて、当時の東京の実相が明らかにされる。それに依れば、東京市内の人口のうち、市内(府下含む)生まれが46.5%で、半数以上が他府県からの流入者であった。故郷を棄てて東京に出てきた人々は、「出郷者が上京する以前に取り囲まれていた、小さな地縁社会では得られなかった解放感をつくり出す。人々はこの解放感の得られる場所として、喫茶店を選んだのである。そしてこの解放感が、ありきたりの思考や常識に捉われない明智小五郎という探偵を生み出した」。(『乱歩と東京』)
人間関係が希薄なカフェもいい、明治期の文化サロン的カフヱーの敷居の高さもあこがれる。けれど今の東京には、「おしゃれ」も、「面白い」も、「新しい」も「古い」も、ありとあらゆる種類の喫茶店がある。昔の小説を読むと、「昔に生まれたかったな」と思うこともあるけれど、こと喫茶店文化に対しては、「今の方がなかなかよいのではないか」と思わなくもない。
○乱歩に想いを馳せながら散歩して少し疲れたら、谷中の喫茶店「乱歩゜」はいかが?(トーキョー喫茶)
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