みなさん、こんにちは。
蒲田のランチです。
今日は目蒲線の「道塚駅@みちづか えき」について書きます。
この駅は
蒲田と矢口渡の間にありました。
1945年(昭和20年)5月27日の空襲で、
蒲田駅が焼けたとき、
電車が来なくなって、それをきっかけに一緒になくなってしまいました。
「池上線」は池上電気鉄道
「目蒲線」は目黒蒲田電鉄
という名前の鉄道会社が運営していました。
どちらも東急が買い取りました。
目蒲線はもっと南側のルートを走っていました。
「道塚」駅はもと「本門寺道(ほんもんじ みち)」駅という名前でした。
1936年(昭和11年)に改称されたそうです。
本門寺道駅のルート
↑
"GNR - Golgodenka Nanchatte Research"
というサイトが開きます。
真ん中辺りの地図を見てください。
もちろん記事も読んでね。
池上線の「洗足池」の近くには
【洗足池公園】というのがあり、桜で有名です。
一方、目蒲線(現在の目黒線)にも「洗足」という駅があります。
こっちは【洗足池公園】からは遠いんです。
迷いますよね。
じっさい洗足池公園に行こうとして
目蒲線に乗っちゃったことがあります。

それと同じように「本門寺」という名前がつけば、
まさか2kmも歩かなきゃならないなんて誰も思いませんよね。
そうです。
「本門寺道」駅から本門寺までは2km、はなれています。
そうです。
この駅、池上電気鉄道を妨害するためにできたんです。
「池上本門寺」は日蓮聖人が亡くなられた霊場です。
亡くなったのは10月13日。その前日の12日と併せて
御会式(おえしき)と呼ばれるお祭りが行われます
(現在は11日もなにかやるようですが)。
ときは大正時代。
池上線も目蒲線もずいぶん古くから走っていたんですね。
池上線はもともと池上駅までしか通っていませんでした。
蒲田~蓮沼~池上です。
池上線という名前が表わしているように
池上の、もっと言えば本門寺の御会式のための電車だったからです。
御会式のときはお客さんでいっぱいになる池上線。
それを黙って見ているしかなかった目蒲線。
そこで、目黒蒲田電鉄は考えました。
そうだ!
あのお客をごっそり取ってやれ。
そこで、大正12年(1923年)になって
本門寺道駅の仮営業の申請が出されます。
さて、この年はいったい何があったでしょうか。
関東大震災です。
震災が起きたのが9月1日。
申請が出されたのが10月ですから
まだ震災の傷あとがばっくり残っていたときです。
ひょっとしたらまだ余震が続いていたかもしれません。
やっと営業が認められたのは1925年(大正14年)です。
10月12日と13日。
このたったふつかの仮営業だったはずが、
その後、しっかり延長が決まりました。

蒲田のランチです。
今日は目蒲線の「道塚駅@みちづか えき」について書きます。
この駅は
蒲田と矢口渡の間にありました。
1945年(昭和20年)5月27日の空襲で、
蒲田駅が焼けたとき、
電車が来なくなって、それをきっかけに一緒になくなってしまいました。
「池上線」は池上電気鉄道
「目蒲線」は目黒蒲田電鉄
という名前の鉄道会社が運営していました。
どちらも東急が買い取りました。
目蒲線はもっと南側のルートを走っていました。
「道塚」駅はもと「本門寺道(ほんもんじ みち)」駅という名前でした。
1936年(昭和11年)に改称されたそうです。
本門寺道駅のルート
↑
"GNR - Golgodenka Nanchatte Research"
というサイトが開きます。
真ん中辺りの地図を見てください。
もちろん記事も読んでね。
※ ※ ※
池上線の「洗足池」の近くには
【洗足池公園】というのがあり、桜で有名です。
一方、目蒲線(現在の目黒線)にも「洗足」という駅があります。
こっちは【洗足池公園】からは遠いんです。
迷いますよね。
じっさい洗足池公園に行こうとして
目蒲線に乗っちゃったことがあります。

桜の本門寺
それと同じように「本門寺」という名前がつけば、
まさか2kmも歩かなきゃならないなんて誰も思いませんよね。
そうです。
「本門寺道」駅から本門寺までは2km、はなれています。
そうです。
この駅、池上電気鉄道を妨害するためにできたんです。
「池上本門寺」は日蓮聖人が亡くなられた霊場です。
亡くなったのは10月13日。その前日の12日と併せて
御会式(おえしき)と呼ばれるお祭りが行われます
(現在は11日もなにかやるようですが)。
ときは大正時代。
池上線も目蒲線もずいぶん古くから走っていたんですね。
池上線はもともと池上駅までしか通っていませんでした。
蒲田~蓮沼~池上です。
池上線という名前が表わしているように
池上の、もっと言えば本門寺の御会式のための電車だったからです。
御会式のときはお客さんでいっぱいになる池上線。
それを黙って見ているしかなかった目蒲線。
そこで、目黒蒲田電鉄は考えました。
そうだ!
あのお客をごっそり取ってやれ。
そこで、大正12年(1923年)になって
本門寺道駅の仮営業の申請が出されます。
さて、この年はいったい何があったでしょうか。
関東大震災です。
震災が起きたのが9月1日。
申請が出されたのが10月ですから
まだ震災の傷あとがばっくり残っていたときです。
ひょっとしたらまだ余震が続いていたかもしれません。
やっと営業が認められたのは1925年(大正14年)です。
10月12日と13日。
このたったふつかの仮営業だったはずが、
その後、しっかり延長が決まりました。

つづく
目蒲線に「道塚駅」があった話は聞いていましたが、思惑があったとは。
洗足池(池上線)、洗足(目黒線)の他に
北千束(大井町線)もあり、北洗足でなく、北千束なのでややこしいです。
蒲田といえば「蒲田行進曲」が有名な曲ですが、
昔(S51年)、西島三重子さんが「池上線」という曲を歌っていました。
♪池上線が走る町に・・・
・・・池上線に揺られながら 今日も 帰る私なの
あと蒲田といえば
・映画「やわらかい生活」
バリバリのキャリアウーマンが、仕事も、全てを失い、
人生はどん底のまま、東京の端っこ、蒲田に引っ越した。
・松本清張「砂の器」・・・本も映画も名作。