みなさん、こんにちは。
蒲田のランチです。

高橋大輔やりましたね。

さて、先週のつづきです。

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わたしは病院に行ったその日に入院となりました。
今は、入院設備はありません。

入院していたのは、2Fです。
今、そこは歯医者さんになっています。
その歯医者さんは眞田先生のお嬢さんです。
ちなみに息子さんも、先生の跡を継いで、
お医者さんになりました。

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最初に病院に行ったとき、問診票にその日の日付を書かされました。
2月だったのに、8月何日とか書いたようです。
住所はなんとか書けましたが、電話番号が出て来ません。
自宅の番号を書いたんじゃないかと思います
(わたしは両親と一緒に住んでいました)。
自分の部屋にも、もう一本固定電話を持っていたのに、
その番号がどうしても・・・

わたしの場合、血管が切れたことが原因で、
脳血栓になったんだそうです。

入院中は毎日、点滴をされていました。
なんの点滴かは分かりません。

記憶がどうかしちゃったみたいでした。
先生から毎日課題を出されます。
「今日は好きな野菜の名前を10個考えてごらん」というふうに。
なのに、なんにも思いつかないんです。

「今日は花の名前を10個」
「今日はくだものの名前を10個」
けれど、一週間とおして何も書けませんでした。

今は書けますよ。
すっかり記憶は快復しましたから。
そのスピードに先生もおどろいていました。

もともと、もやもや病だったために、
快復が速かったんじゃないかと先生は言っていました。
赤ちゃんのときから細い血管が
脳の機能をなんとか修復しようと頑張って来たおかげでしょうということです。

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で も、快復しなかった機能もあります。
たとえば、お金の計算。
1万円と千円と、どっちが大きいお金か分かりませんでした。
1200円のスパゲティを食べたとします。
さて、いくら払えばいいのか、途方にくれました。
とりあえず、1万出しとけば、足りるだろうくらいのおおざっぱな感覚でいました。

今はだいぶよくなりましたが、
まだ、10円と100円の区別が付きません。
スーパーで買い物したとき、
合計が1020円だったとしますよね。
1200円払えばいいのか、
1020円払えばいいのか、
迷ってしまうんです。

レジの人はお年寄りなんかも扱い慣れていますから、
ソツなく対応してくれるので助かります。

まあ、日常生活に差し障りのない程度、
と言えるのではないでしょうか。
これも毎日人と話したりしているうちに解消されていくようです。

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細かい計算もできなくなりました。
倒れるまでは、DTPの仕事をしていました。
レイアウトも自分で決めて、
左端から何ミリ、上から何ミリと細かい設定をしてページレイアウトをしていました。
たぶん、これも無理でしょう。

で、仕事はクビになりました。

英語の勉強もかなりがんばってやっていましたが、
すっかり頭から消えました。

字もヘタになったし、
というより、しばらく字が書けませんでした。
退院してから2ヶ月くらいたって、
「字が書けないんだ」と家族に話したところ、
「でも、読めるんでしょ」と。「だったら、書けるんじゃない?」
と言われて、初めて気がついたのです。
もしかしたら・・・

前から日記のようなもの
(日付や曜日、天気、何を食べたかなど生活記録のようなものです)を
つけていたのですが、試してみたら、
書けたんです。
でも、字はとてもヘタになりました。

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病気をしてから、漢字も書けなくなりました。
なんでもない漢字が出て来ないのです。
武士の「武」とか、「泳ぐ」とか。
まるで、その文字が頭のなかの空白にすっぽりはまってしまったように。
辞書を引いたり、ネットで調べたりすれば、思い出すのですが。

とにかく、やったらやりっぱなしになってしまったのです。
だからこんなメモを壁に貼っています。

化粧品のフタを締める、
歯を磨く、
顔を洗う、
まあ、基本ですよね、ふつうに生活してゆく。

でも、気をつけないと忘れちゃうんです。

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今では2ヶ月に一回のペースで薬をもらいに通院しています。
ときどき、MRIを撮ったり、採血したりもします。
これからどうやって生きていけばいいんでしょうね。
もやもやしてます。
おわり