みなさん、こんにちは。
蒲田のランチです。

今週も武蔵新田の話題を。
平賀源内(ひらが げんない)の話です。

源内はとても才能がありました。
才能があったけれど、移り気。
移り気だから何ひとつ大成しない。
という人でした。

最後は人殺しの罪で捕まってしまいました。
なんでまた・・・と思いますよね。
いろんな説があるのですが、酔ったはずみで相手に斬りつけ・・・
というのが、いちばん有力な説のようです。

※ ※ ※

源内の仕事のひとつに新田神社の「矢守(やもり)」を作ったことがあります。
矢守というのは「破魔矢(はまや)」の原型です。

破魔矢とはお正月に神社などでもらってくる矢(魔を破る矢)のこと。
魔除けになると言われています。

18世紀の中頃、新田神社の門前の茶屋で「義興の矢」として矢が売られていました。
それを見て、源内、ひらめきました。
そうだ。この矢を利用しよう。

新田神社には不思議な竹が生えるという言い伝えがありました。
それは源氏の白旗を立てたものが根付いた「旗竹(はただけ)」というもの。
それは境内にしか生えない篠竹で、
雷が鳴るとピチピチ割れるそうなんです。

それは不思議な話だねー。
と源内は言いました。
旗竹で矢守を作って、魔除けの矢として売ったらどーお。
そして新田神社の御神徳を広めては。

矢守は、新田家伝来の「水破兵破(すいは ひょうは)」の二筋(二本)の矢に由来していると言われています。

矢守と水破兵破について知りたい人は、新田神社の[ホーム]にある

★flashアニメ
新田神社の「矢守」と「神霊矢口渡」★
       ↑
上のほうにあります。緑色です。

★flashアニメ
裏切り者を懲らしめた神様
「新田義興公」★もどうぞ。

神霊矢口渡(しんれい やぐち の わたし)」を書いたのも平賀源内です。

たぶん、新田神社の宣伝のために書いたのでしょう。
このお話は、浄瑠璃(人形劇)と歌舞伎になりました。
ちなみにこれはフィクションです。
新田義興の弟は、「義峯(よしみね)」ではなく、「義宗(よしむね)」です。

※ ※ ※

平賀源内にはコピーライターとしても有名です。

夏、鰻屋から「お客が来なくて困ってるんですよぉ」と相談を受けた源内、
土用の丑の日(どよう の うし の ひ)に「う」の付くものを食べると
夏バテしないという民間伝承を思い出し、
鰻屋の店先に「本日土用の丑の日」と貼り出しました。
そうしたら、お客さんが来るわ来るわ。

※ ※ ※

ところで、武蔵新田には「山縣屋(やまがたや)」という老舗の鰻屋さんがあります。
まさかここも源内に助けられたお店じゃないんだろうね、と思っていたら、創業65年でした。
なんだ、江戸時代じゃなかった。

ここも、2009年の五月末日に閉店しました。
でも、まだお店は残っています。
地元では、とても評判のいいお店だったようです。

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2007年にお邪魔したことがあるんですが、わたし的には、蒲田の「鰻々亭(まんまんてい)@駅ビルの地下にあります」のほうが安くて、おいしかったかなと。

鰻を焼いているおじさんは、怒っているのかと思うほどむすっとしていました。
ひとことも口をききませんでした。

おばさんがひとりで注文を受けていました。
が、この人がなんだか、せわしない感じ。
追い立てられるように店を出て来た記憶があります。

この、おばさんが閉店の理由のひとつでしょうか。

貼り紙には、

諸事情(店の老朽化、母の余生をゆっくりと・・・)により五月末日をもちまして、閉店することにいたしました。
六十五年にわたり皆様に愛されて幸せでした。
ありがとうございました。

                山縣屋店主
と書かれていたそうです。


※ ※ ※

もうひとつ無くなってしまったお店があります。
浅野屋」さんという、おそば屋さんです。
ここは入ろう入ろうと思っているうちに、閉店してしまいました。

0842_lunch_asanoya.jpg

たしか後継者がいないから辞めますと貼り紙がしてあったような気がします。
ここも店構えは立派でしたよ。
浅野屋さんはもう取り壊されてしまいました。

古いものが無くなっていくのは残念ですね。