俺は助けてもらわねぇとやっていけねぇ自信がある!(byルフィ)





おはようございます



ピロサカ・エリー・マサムネです



現在、高円寺はJR高円寺駅を中心として賑わっています

さてその高円寺駅はどのような背景で生まれたのでしょうか



第一回高円寺駅ができるまで

第二回(このコラム)
第三回(最終回予定)

高円寺歴史シリーズどすです
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【参】わしぁァ、死んでもここを動かんぞ!!!


大正9年(1920年)春


新駅は馬橋に決まりました。必要な書類作り、
もろもろ準備に入ります。



が、



ここで思わぬ落とし穴がありました。駅の用地確保ができなかったのです!


「わしゃあ、死んでもここを動かんぞ!」

「鉄道なんて金持ちが得するもんじゃろうが!」

「わしらにはなんーも特にならん!」



と何と言ったかは定かではないですが、猛烈に反対にあいます。当然第二、第三候補とあたったわけでしょうから、それでも駄目だったのはよっぽど仲が悪かったのか、利権の争いがあったのか。。。それはさておき、これにより、馬橋新駅案は暗礁に乗り上げます。



別記事で書きますが、実は同時期に青梅街道に路面電車が開通するんです



【四】阿佐ヶ谷!再攻勢をかける!



しょんぼりしていたお隣り阿佐ヶ谷は積年の恨み!   じゃあ、ないですが、ここぞとばかり、攻勢に出ます!!!


しかし、、、、、、、、、、、、


鉄道省はなかなウンと言いません。鉄道省「だって、阿佐ヶ谷じゃあ、荻窪寄りに偏よってんじゃん」
困り果てた阿佐ヶ谷は別案を考えます。「ここは、政治力を利用しよう!」と。
当時阿佐ヶ谷在住、愛媛県出身の代議士ナニナニさんに頼みます。「なんとかなりませんか」

つづく

そう、知る人ぞ知る話で。青梅街道には路面電車が走ってたんですよねぇ
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■時代背景の補足
大正時代とは
日本は2度の戦勝(日清、日露)に続き、第一次世界大戦が始まると、日本は戦いに直接参加しておらず、物資の生産拠点として急速に発展、近代化が進みます。あれです、ここでいわゆる「成金」が生まれました。文化的にも西洋化の波が押し寄せ、あわせて民本主義の台頭し(大正デモクラシー)、大いに国として勢い盛んな時代です。大正ロマンもこの頃かと。

イケイケおせおせな時代

ただ、この頃(大正9、10年頃)になると、第一次世界大戦も終結し、過剰生産などによるが原因で、反動で景気が悪化します。

ただ高円寺周辺からすれば、農村地帯であり、のんびりしたものだったでしょう。中央線の新駅の設置、青梅街道の路面電車開通(これはまた別コラムにて)などがビッグニュースだったと想像されます。


ではまた