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自宅のインターネットがようやく復旧しました。再開しまーす。
よろしくお願いしまーす。復帰戦第一弾は好きな”歴史”でいきますよ。 ピロサカ
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REKISHIシリーズ
歴史壱~農村地帯と青梅街道
歴史弐~青梅街道、馬車奔る

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明治5年  新橋~横浜間に鉄道開通、営業開始
 その後、鉄道は全国的に拡がっていく
明治13年 東京、甲府間に鉄道を通すために甲武汽車鉄道が認可される
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そもそも東京、甲府間を繋いでたのは「甲州街道

甲武汽車鉄道も甲州街道沿いに鉄道を通す計画だった。。。

だが、しかし!!!

甲州街道沿いの住民の猛反対にあいます

・煙突から出る火の粉で火事になる
・煙公害だ
・ものすごい五月蝿い

とかとか

さて、歴史を愉しむにあたって、当時の人の気持ちで想像することが大切です。
(一見不可解な歴史でも当時の状況を鑑みると紐解けたりしますよ。)

よ~く考えよう~お金が大事だよ~ いや愛でしょ愛
当時、家は茅葺の家で滅茶苦茶燃えやすかった
 汽車の煙突からもくもくもくもくと煙と火の粉が噴き出して、降ってくる
 「燃えたら、どんすんだよ!たまったもんじゃねー!」


当時、蒸気機関車なんて見たことない人がほとんでです。頼りになるのは伝聞だけです。
 「物凄い轟音を轟かせながら、鉄の大蛇?が走るだと!物の怪!恐ろしい!」


当時、街道は既に賑わっており、往来も激しいです。街道沿いには民家だってあります。
「街道沿い?家を壊すってのかい?街道の中?バカ言ってんじゃねー!」


当時、鉄道を通す、駅を設け街が発展するなんて知らなかった。わからなかった、と思います。
「そんな得体の知れないものに何の得があるっていうんだい?やめとくれ~」


そもそも、鉄道に対する一般の人のイメージはすこぶる悪かったみたいです。





甲武汽車鉄道は第二案を出します。


甲武さん「じゃあ、わりかし人通り少ない青梅街道に鉄道通しちゃおうかな」


。。。


だが、しかし!!!


同様の理由で青梅街道沿いの住民にも猛反対にあい、却下されます。


。。。


。。。


甲武さん考えます

甲武さん「そもそもうちの会社の目的は青梅の石灰輸送ビジネスだし。
      だったら途中は思い切ってパスするか。
      人がいないところをドーンとね。直線で線路を敷くかね!!」

この案は特に住民との衝突もなく、通ります。(だって人少ないんだもの)



みなさん、地図を(路線図を)見てください。



不自然なぐらい真っ直ぐだよね。



だから!!

東中野から立川までの中央線(元甲武さんの鉄道)は真っ直ぐなのですね!

農家がまばらにあった武蔵野台地に鉄道を一直線に通したんですね


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明治22年 新宿~立川間 鉄道開通

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当初の駅は5つ!!新宿、中野、境、国分寺、立川! これら5駅の歴史は古いのだ


余談:
個人的にね、すごいすっきりしたんですよ。今回のコラムで。
当時、鉄道は人々によっぽど嫌われてたみたいで、全国的にことごとく猛反対にあい
街の中心から外されてるんですよ。
当時の鉄道は大体、今のJRです。
地方のJRって、結構街の中心からちょびっと外れてません?
僕は西の人なんですが広島、愛媛なんかは明らかにそうですねえー。