えー
僕は歴史が好きでして・・・(略)
ピロサカの歴史好きとは、、、
世界史、日本史、広く浅く。。最近は「チェーザレ」「百年戦争」「幕末」がマイブーム。歴史そのものも好きだが、遺構なんてのも。城いいね。廃墟も守備範囲。古地図もいいよねえ。江戸(トーキョー)はほんとおもしろい


ということで、いきなり「歴史」から切り込んでいきます。

「一人でも行けるおいしいご飯屋」「洒落た飲み屋」「素敵な雑貨屋さん」なんてのもおいおい、ね。


さて
高円寺の名前の由来

高円寺は何故「高円寺」なのか?

。。。

。。。

はい!君、正解!そう、「高円寺」と呼ばれるお寺が実在するんだね。高円寺には。
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江戸時代の初期、もともとここは「小沢村」だった。既に「高円寺」は存在していたけど、
徳川三代将軍 家光公が鷹狩りの際に「高円寺」に立ち寄って、気に入っちゃったみたいで。
それ以来、「高円寺村」と呼ばれるようになる。
気に入っちゃったとは、、、
この辺りに鷹狩りに来るたびに寄ったという。そしてなんと桃の木を送って、桃園まで作ったみたいで。ちなみにだからすぐ傍の小川は「桃園川」と呼ばれた。しかし今は蓋をされて、「桃園川緑道」になってるけどね。それと、なんと「葵」の紋を掲げているのだ。この高円寺は。徳川家光が与えたのでしょう。きっと高円寺は「英国王室御用達の教会」ってなくらい、すごいんじゃないだろうか。



高円寺村はその後、江戸時代、明治、昭和と生きながらえるのです。地名として。


これから紐解いていくけど、「高円寺」という地名が生きながらえたのは、いろんな偶然も地域の人達の頑張りもいろいろあると思うけど、
・高円寺は「葵」の紋を掲げている
・JR中央線の駅名が「高円寺」になった
この2点が大きい気がするなあ
というのは個人的見解。



さてさて、今日はこの辺で。


でも一部の方が
「鷹狩りって、昔はそんなに鷹いたのー?」
「葵ってなにー?」
といいますので、2点補足しとくね。

鷹狩りとは、、、

鷹を狩るんじゃなくて、鷹を調教して山野で鷹を放って、鳥や小動物を捕らえ狩るもの。武家の間では娯楽として流行りました。

葵の紋とは、、、

徳川家の紋が「葵」でした。そして「葵」の紋の「無断使用を禁ずる」と法で定めてありました。勝手に使うと罰せられます。であるので、「葵の紋」のインパクトは結構大きかったと推測されます。この点から見ても高円寺は徳川家光の相当なお気に入りだったのでしょう。


次回は、実際に「高円寺」に行ってみますか!