「別れる男に花の名前を一つ教えておきなさい、花は必ず毎年咲きます」というのは、なかなか有意義な概念だと思う。

過去は変えられない。辛い事も哀しいことも沢山あったけれど、花を見て別れた恋人を思い出すのは、楽しかった記憶なはずだ。美しい花を見て憎しみの心を抱く人なんてそうはいない。

花が咲く度に、心の中の思い出にもひとつ花を捧げる。それは葬送ではなくて、記憶をもう一度生き直すために、花にすこしだけ手助けをしてもらう。

過去ではなく現実に生きる私は、花が散ってまた咲く世界を生きなければならない。今は散ってもまた咲く花が、ひとつの事実を提示してくれる。

花はかならず毎年咲く。花が枯れてしまっても、その花の美しさをいつでも思い出せるように生きて行ける。


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……なんて、柄にもなく思ったのは、べ、別に恋人となんかあったわけじゃないからねっ!!  

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新宿二丁目のメガネドラックの隣にある花屋さんを通りがかったら、俺の大好きな紫陽花、「墨田の花火」が500円で売られていたのでふと、毎年行ってる鎌倉の長谷寺に今年も行きたいなあ。

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今が盛りの紫陽花のほうは5000円で売られていた。墨田の花火の十倍かあ。でも俺にとっては、500円の墨田の花火のほうがいいなあ。