時は、昭和の高度成長期。
戦中・戦後の暗い時代を乗り切り、ニッポンはにわかに活気付きます。
 
盛り上がる気運、その中で栄華を誇ったひとつに「銭湯」というものがありました。
いかに国をあげて上り調子とはいえ、当時の住宅はまだまだ多くが風呂無し状態。
清潔好きな日本人、人々の生活に欠かせない銭湯は隆盛を極め、
昭和40年代の東京には、実に3000軒近い銭湯が存在したといわれています。
さながら寺社仏閣を思わせる勇壮な姿は、現在の貨幣価値にして
1億円を超えるものも珍しくありません。
それでも営業開始から店仕舞いまでお客さんでごった返していた当時は
数年~10数年で回収できる投資であり、江戸っ子の見栄っ張り気質も手伝ったのか、
東京の銭湯は、どんどん華美で荘厳な方向へと突き進んでいきます。
 
しかしその絶頂も、昭和後期に入り急速に勢いを弱めます。
アパートに突如出現したユニットバス、一般住宅も多くが内風呂を備えるようになり、
入浴客は減少の一途を辿りました。
それに加えて地価の高騰、後継者の不足、どうしようもない設備の老朽化。
江戸に初めて銭湯が登場して400年、ニッポンを代表する風俗として
知られてきた伝統の入浴文化は、かつてない逆境の時代に入ります。
その後の衰退の一途は、ここで皆さんにお伝えしてきたとおりです。
 
 
ここ数カ月は、廃業として紹介した銭湯がその後どのような道を辿ったのか、
振り返ってお届けしてまいりました。
しかしその間にも、かつてお話しした際には健在に見えたいくつもの銭湯が、
人知れず失われていきました。
2007年大晦日の出発から、もう2年が経とうとしています。
険しい長旅に、私の足もそろそろ限界が来ているようです。
このままではおそらく、持って年内になるでしょう。
東京銭湯、八拾八か所お遍路の旅。
満願成就のその日まで、どうぞよろしくお付き合いをお願い申し上げます。
 
 
トーキョー銭湯雑学コラム ~ 茶屋で一服 ~ 

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