村雲さんの銭湯トークは夕方から始まりました。
私は、スケッチコラム担当として一日テントの中で絵を描いていました。
陳列された様々な銭湯グッズに心ひかれながらも、絵を描き続けて話に耳を傾けました。
宮大工が作った銭湯から、お寺のような様式の建築の銭湯が流行していったこと。
富士山の壁画制作を担う、数少ない絵師のこと。
週毎週、銭湯という貴重な文化が消えていっている事実。
絵を描きながら、そんな銭湯の話を聞いているうちに思い出しました。
京都での貧乏学生時代、4畳半でオフロは共同だったなぁ。
寮に10人の住人に家庭風呂ひとつ、ダジャレどころではない不便さ。
銭湯にはお世話になりました。
寮が混んでいるとき、のびのびしたいとき、何となく物寂しいときには、タオル片手に銭湯にいきました。
遠くから友人が訪ねてくれば、必ず銭湯に一緒に行きました。
兄が名古屋から自転車で遊びに来てくれたこともありました。
銭湯ではみーんな、裸。
心の垢、体の垢、ゼンブ洗い流してしまえる気がします。
髪を乾かしながら歩く帰り道、雪駄の奏でるぺったぺったとのんきな音が、後をついてきます。
いいなあ銭湯。
村雲さんの熱く語る様子を見ようと、筆を休めてテントから抜け出して写真を撮りました。
コイツはただ者ではない。Mr.銭湯の風格がある。
ケロリンの洗面器がこれほどにまで似合う男が他にいるだろうか。
銭湯のお話、これからももっと聞かせておくれ。
所々ツッコミたい衝動にはかられましたが・・笑
富士山の絵銭湯で見た事ないので、見てみたくなりました。
割としょっちゅう絵は描き換えられているんだなぁとおもいました。
2度と見れないものも増えてくる(描かれてる方が高齢の為)と聞くと余計に!