|
|
| 2009/10/01 10:10 | コメント(5) | トラックバック(0) |
|
近ごろ、栃木の実家へ帰る機会が多くなった。
埼京線に揺られて渋谷、新宿、池袋―
次々と移り変わる四角い景色、そして十条を過ぎ赤羽まで来ると
とたんに目につくようになるのが、聳え立つ巨艦マンション群。
東京も北の果て、お隣の埼玉へ近づいてきたことを実感させられる瞬間だ。
マンションの乱立する西側とはうってかわって閑静な宅地が広がる東口方面、
玉の湯はそんな一角にあった。
古風な瓦屋根、しかし看板建築風の入口をあしらった、
東京では一風変わった面構えのお風呂屋さんだ。
熊谷へ外勤のとある日、帰りに赤羽で途中下車する。
昨年の廃業から1年が経つにもかかわらず、
玉の湯は意外なことにちっとも変っていなかった。
再開発が進みどんどん変わりゆく西口方面だが、
昔からの住人が多い東のこの一角では、なかなか買い手もつかないのかもしれない。
正面入口のシャッターはもう開く気配もないが、
敷地のコインランドリーだけは、どうやら今も営業しているらしい。
真っ暗な街角に、寂しげな灯りがぽつん―
いつかとは明らかに異なる、乾いた香りが鼻をつく。
※ 第四拾弐番札所 ~ 玉の湯 ~ 北区・赤羽
[PR]
こんにちは!ここも6年前の5月11日に、「みやお」と一緒に行ってよく覚えています。開店を少し待っていたので、左手のコインランドリーの青地に白い文字を思い出しました。本当に赤羽の銭湯はほとんど姿を消してしまいましたね。2000年の銭湯マップを見ると明らかです。私も玄関の入口の張り紙を見て、廃業を知りショックを受けた事は赤羽には、特に多かったように思います。お気に入りだった名旅館のような、西口の銭湯も2軒共姿を消してしまいました。何をやってもいい季節となりました。残りのお遍路巡りに何処の銭湯が登場するか、楽しみです!
今日は休みなので、「赤羽の玉の湯跡」、行って来ました!たちまち記憶がよみがえり、もう二度と開く事のない入口をしばらく眺めていました。(左手のコインランドリーは開いてました)これで帰るのはもったいないので、赤羽東口のアーケード商店街を逆から歩き、お気に入りだった、西口の「道潅湯」と「鶴ヶ丘湯」の跡地も拝んでいく事にしました。西口は少し歩くと急な登り坂になり、迷いながらも、何とか目的を果たす事ができました。同じ道を戻るのが嫌なので、急な階段を下り、またまた坂を上がって十条の活気溢れる、十条銀座のアーケード商店街を抜けました。そして東十条駅迄の「(篠原)演芸場通り」へ…
そして、そこで発見してしまったものは、私が大好物の「日本一たい焼き」(福岡本店)という店の名のたい焼き屋です。期待して6匹も買ってしまいました!(1匹150円也)我慢できずにすぐパクリ!ん〜、外はパリパリ中はあんこいっぱい!でもちょっと甘過ぎるかな〜!作りは養殖物なので表面が綺麗すぎかなぁ?結果として東京の三大たい焼きには、到底及びませんでした。四谷「わかば」のは食べてみましたか?…お陰様で数年前を懐かしむ、楽しい町歩きができました。
>けいぼうさん
ここへもお友達と行かれていたのですね。
けいぼうさんに教えていただくまでは、
赤羽の東と西の差など考えたこともなかったのですが、
玉の湯を訪れるため赤羽駅へ降り立ったとき、
西口へ出てみて初めてその意味が理解できました。
これでは、伝統の銭湯が生き残る余地はないでしょう。
お話によればつい最近まで魅力的な銭湯が何軒も残っていたようで、
もう少し早くお遍路を始めていれば、と悔やまれることばかりです。
廃業後を巡る旅は、その変わりように思い出が崩れていくようで、悲しくてなりません。
しかしお遍路の満願を成し遂げた先には、きっと見えるものがあるはずと信じています。
>私が大好物の「日本一たい焼き」(福岡本店)という店の名のたい焼き屋です。
さすが、食べ歩きにもお詳しいけいぼうさんですね。
今度赤羽付近に行った際には、必ず行ってみようと思います。
そして、まだ食べたことのない四ツ谷の「若葉」。
会社をそっと抜け出して、息抜きにでも。
玉の湯のすぐそばに生まれた時から住んでいますんで、そそられて拝読しました。廃業した銭湯をご覧にいらっしゃるのですか?すごい。30年以上前、家の建て替えの頃、毎日玉の湯に行っていたのですがその頃は前の通りはひとつの商店街のように店が立ち並んでいて、活気がありました。コインランドリーになっているところには毎日屋台のやきとん屋のおばさんが来ていました。正面玄関のシャッターの上に4枚の縞のガラスが嵌めてありますが、一枚だけ縦横が違っていると思います。小学生の時、道に落ちていたシャンプーの空き瓶を投げて遊んでいたらぶつけてガラス割ってしまったんです。親が弁償しました。ものごころついてからは、顔見知りの近所の人前で裸になるのは何だか嫌で、行くこともなかったのですが、自宅の風呂場を改築した時、久しぶりに入ったんですが、この頃が玉の湯の閉店間際の頃だったかと思います。お湯がやたら熱かった気がします。隣の志茂一丁目にあった大黒湯さんの裏手に手仕事をするためのアパートを借りていますが、この大黒湯さんも火事になってなくなってしまい、この近辺の住人は、銭湯が遠くなって不便を感じている人も少なくないかと思います。昔玉の湯さんはミゼットだったか三輪のトラックで廃材など運んで裏には木材が山になっていました。どこの銭湯もそんな感じだったのかもしれませんが、、。
>いまどきさん
>正面玄関のシャッターの上に4枚の縞のガラスが嵌めてありますが、一枚だけ縦横が違っていると思います。小学生の時、道に落ちていたシャンプーの空き瓶を投げて遊んでいたらぶつけてガラス割ってしまったんです。
懐かしいお話をお聞かせくださり、ありがとうございます。
今どき、まず聞かれないお話ですよね。
いまどきさんのお話は私が産まれる前のことになりますが、
そんな暖かい昭和の風景が、愛おしくてなりません。
私が玉の湯を訪れたのは、1年半前の秋の日。
廃業のうわさを聞きつけ駆けつけた午後、開店が待ち遠しくってなりませんでした。
古風な番台、レトロな広告、お約束の立派な富士山。
期待を裏切らない、見事な東京銭湯でしたね。
そうそう、確か男女の壁際にひっつくように浴槽が配置されており、
たしか3槽だったでしょうか。
お湯の温度が異なっており、最奥部の湯船は東京銭湯に入りなれた身にも、
熱くてすぐに飛び出てしまったものです。
消えかけていた記憶が、今ありありと浮かびあがりました。
ありがとうございます。
玉の湯は廃業後も少なくとも1年は、そのままで残っておりました。
私が最後に訪れてから半年が経ちますが、もしかしたら、
玉の湯はまだその姿を残しているかもしれません。
(1)画像の中の文字がわかりにくい場合はプレビューを押して画像を再表示させてください。(2)時間帯によってはコメントの投稿に時間がかかることがあります。ご了承願います。(3)コメント投稿時にエラーがでても多くの場合コメントは反映されています。二重投稿にならないようご注意ください。
[PR]