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| 2008/09/07 23:09 | コメント(2) | トラックバック(0) |
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本郷は坂の多い街だ。既にご紹介の団子坂のほかにも、胸突坂、炭団坂(たどんざか)、鐙坂(あぶみざか)に見返り坂。由来を調べたくなる名前の坂も多いけれど、どこにでもありそうな「菊坂」が今日の舞台。昔、一帯が菊畑だったことから名づけられたそうで、緩やかな坂の勾配を見ると、なるほど菊畑が広がっていても不思議ではない。
ここに昔、多くの文士や芸術家が逗留するホテルがあった。菊富士ホテルといって、住まいのように長く住んだ人々の名前を見ると、その豪華さに驚かされる。
谷崎潤一郎、竹久夢二、坂口安吾、直木三十五(その時三十何だったのかは不明※)、三木清......
じっくりしっかりこのホテルのことを知りたいなら、近藤富枝の『本郷菊富士ホテル』を読むのがいい。経営者一家と親戚だった作者は、綿密な取材で、大正文壇を語るのに欠かせないこのホテルのことを知らせてくれる。雰囲気を感じたいなら、上村一夫のマンガ『菊坂ホテル』がいいと思う。
情熱と、何か埋められないものへの渇望を抱えて生きる人たちの生活が、谷崎潤一郎と菊富士ホテルの娘を話しの運び手にして描かれている。小説家志望で、谷崎の弟子になりたがった青年が自殺した夜の会話。青年には、消し去れない罪がある。
(谷崎)彼に小説を作る技術があったら死を選ばなかったかも知れん
いい素材になったのにな......その母親
(竹久夢二)地獄の日々を送っていた彼に対してそんな......
(谷崎)この世だって地獄じゃないか
あんたらの愛の暮らしだってひとから見れば地獄絵図さ
(夢二の愛人お葉)よくもそんなことを......
(夢二)言い過ぎだぞ!
(菊富士ホテルの娘)やめて!お通夜の席なのよ!
この本に出てくる人は皆、創作と愛憎の苦しみの中にいる。そんなわけで、性描写もちらほら。花も恥らう三十半ばのわたしは、指を開いた手のひらを目の前にかざして読んだ。「芸術家の生ってこんな風に苦しいんだろうな」と、自分の回りの平凡にほっと胸をなでおろして本を閉じる。
次回は、このホテルのもう一方の主役、多く投宿した学者たちの中から、ロシア人の東洋学者ニコライ・ネフスキーを取り上げます。
※直木三十五は、31歳の時から一つ年を取る度に「直木三十一」、「直木三十二」、「直木三十三」と名前を変えました。「三十四」はなくて、「三十五」のペンネームを43歳で亡くなるまで使いました。
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作家の生も一般人の生もともに激しいと思いますけどね。
作品はその部分にスポットを当てるから、激しいものに見えがちですよね。
それであくまで「物語」なわけですから。
このホテルに泊まったんですか?
どんきちさん、コメントありがと。
確かに普通の人の生にも激しい瞬間があるでしょう。
才能の限界とか挫折の苦しみだって一般人にもありますよね。
このホテルは、東京大空襲による火災で炎上してしまったので、
今はもうありません。
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