晴海通り沿いにせり出すアーチ看板が目印の、“名画座シネパトス 1・2・3”。
名画座」とは、新作ではなく名作と呼ばれる“過去の旧作”を上映する映画館のこと。
もちろんフィルム上映、デジタルの方が映像は綺麗だが、
フィルム映写の方が暖かくて味があるのは間違いない。

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「三原橋地下街」に3つのスクリーンを構え、銀座では唯一の名画座として
映画ファンに愛されてきたこの劇場も、来年の3月末をもって閉館します。

その理由は、地下街が耐震性の問題から取り壊しが決定し、
東京都から立ち退き命令を受けたことによるものとか。
フィルム上映館がなくなると、昔の名作がスクリーンでまったく見られなくなるのは否めない。
なんとかならんもんですかねぇ、耐震補強とか…。 
 
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そのシネパトスの入り口がある、三原橋地下街。
晴海通りの両脇にある階段から下ると、
天井の低い通りに小さな居酒屋や散髪屋などが軒を連ね、
セレブの銀座の表通りとは一線を画した昭和の匂いが今も漂う一画となっています。

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地下街と言うよりも、距離は短いためイメージは通路みたいなものですが、
出来た当時としては地下に店舗があること自体珍しかったようです。
見れば、あらら来年の取り壊しを前に早々と、閉店する店がちらほらと。
 
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いわゆる日本初の地下街なるものができたのが
神田須田町 地下鉄ストア』(1932・昭和7年)だとか。
地下鉄銀座線が神田駅まで伸びた時に、建設されたと聞きます。
でもなんで、神田駅に地下街?

それは当時、交通の一大栄華を誇っていた須田町が近くにあったから。
信じられない話ですが、当時の須田町は都電の都内随一のターミナルだったのです。
まぁ今の大手町駅以上のような様相だったんでしょうなぁ。

10経路の都電が集結し、須田町からは、都内なら乗り換えせずにどこへでも行けたとか。
須田町交差点が折り返し起点となっていたので、何十車両も連なる“都電銀座”と言われ、
もし写真が残っているなら、一度見てみたいものです。
その須田町と神田駅を繋ぐ地下通路に地下街は作られたのですね。

その後、地下街は上野駅の旧地下鉄ストアや、三原橋地下街(1952・昭和27年)の建設へと発展。
去年には、神田須田町 地下鉄ストアも閉鎖され、この三原橋地下街は
現役最古の地下街として頑張っていましたが、来年には跡形もなくなることとなります。※1
 
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 2011年1月に閉鎖された神田須田町 地下鉄ストア

さて地名の、三原橋橋の地名が付くからには、川が流れていたハズ。
現在の三原橋交差点(昭和通り)ではなく、三原橋地下街が川そのものでした。
昔の銀座界隈は四方が川に囲まれていて、橋の名前のみ現在に残っています。

いま残っている地名だと数寄屋橋、京橋、土橋、新橋......。その一つが、この「三原橋」なんですね。
正確に言うと、まぁ川というか、堀割(ほりわり)や堀切(ほりきり)。
堀割とは、地面を掘って切り通した水路のことです。
そして三原橋の堀割り名前は、“三十間堀”と言いました。

1945・昭和20年東京大空襲など幾度の空爆により、都内は大きな痛手を被りました。
こうした被害からの復興のため、空襲によって生まれたビルや家屋の瓦礫
うまく処分する方法として考えられたのが、銀座の堀割の埋め立てだったのです。
さしずめ去年の東日本大震災の瓦礫をどうするかで揉めている現況と通じるものがあります。

この三十間堀にかかっていた、紀伊国橋・木挽橋・賑橋等はすべて撤去され、
都電が走っている三原橋がそのまま地名として残ったという訳なんです。

ここに1本の、銀座を舞台とした映画があります。『銀座化粧』。
三原橋地下街ができる丁度1年前1951・昭和26年に撮られたフィルムに、
三原橋が埋め立てられた直後の映像が残っています。
監督は、成瀬巳喜男。主演女優は、あの田中絹代。男優はイケメン堀雄二
銀座のネオン街を舞台に繰り広げられる、人間模様を描いた映画です。 

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日本名作映画集29より

田中 絹代 : この辺、三十間堀と申しまして。埋め立てる前は、
      夜などは、両側のバ-や喫茶店の灯が水に映って、とてもキレイでございましたわ…。
堀 雄二 : そうですか。
堀 雄二 : あっ、ここが橋の名残ですね。
田中 絹代 : はい。 
 
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そして、埋め立てられた跡地にその後地下街ができ、
その両側には、パチンコ屋ニュース専門の映画館ができました。

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橋下の映像をよく見ると、左側の回り込んでいるアーチ状の階段は、
今の階段と似ていているでしょう。
まさか同じ階段とは思いませんが、
印象がよく似ています。

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三原橋地下街の入り口天井部分をよく見ると、弧を描いたカーブが見えます。
これも橋桁の面影が残っていると言えましょう。
 
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紆余曲折、
シネパトスの前身は、成人指定のピンク映画を上映していた時代もあったそうな。
地下街の店舗は色々と入れ替わり、一角にはアダルトショップの「アラジン」。
地下から階段を上がって、銀座1丁目方向へ行く道すがら左側に、ヘルスナポリ」。
もっと以前には今や懐かしい名前、トルコニューハッピー」なるいかがわしい店もあったとか。

そう言えば、映画・銀座化粧には、埋め立てられた三原橋の5丁目側に建てられた、
東京温泉(トルコ風呂)なる建築現場を覗くシーンもでてきます。
しかしその内容は、トルコと言っても現在のソープにあたるものではなかったようです。
想像するに垢すりの湯女がいて、大浴場に入浴するシステムだったのでしょうか。
まさに、テルマエ・ロマエの世界です。
 
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一昔前の泰明小学校の児童たちは、この地下路を“ピンクロード”と呼び、
先生や親たちの「行ってはいけませんエリア」の中でも、
絶対に行っては行けませんエリア」として、きつく言われていたとも。

今や、それらの風俗店も一掃され、健全な地下街と生まれ変わったのですが、
まさに悲しい憂き目です。気になるのは、シネパトスの階上はどうなっているのかということ。
2階は居酒屋「傳八」になっており、確か鰯の刺身が旨かったと記憶しています。
 
シネパトスでは来年2月から、閉館を記念した新作映画『インターミッション』が上映されます。
休憩時間の映画館を舞台にしたコメディ作品で、映画評論家の樋口尚文氏が監督を務めています。
観賞後に、最期の思い出の〆として、傳八で一献といきましょうかね。


※1
偶然にも、この須田町界隈の万世橋駅や、(鉄道)交通博物館跡地
JR再開発のお話を聞ける機会がありました。これをまとめてエキストラとして
神田コラムにアップするので、お楽しみに!!