大正期に寺社型の宮造りが登場し、その勇壮さから右へ倣えとばかりに建設された東京銭湯。
メディアが好んで取り上げたこともあり、ふだん馴染みのない方には
「銭湯=寺社型」の図式が、強く刷り込まれていたのではないでしょうか。
 
しかし、それはあくまで東京圏での特徴。
寺社型の銭湯は、発祥地の東京下町を中心に同心円的分布を見せますが、それもせいぜい隣県まで。
その様式は郊外へ出るに従って簡素化されていき、東京銭湯の影響があまり及ばなかった地方には、
小さな民家風あり、京都の木造町屋風情あり、大正浪漫の面影を残す洋風建築ありー
大正から昭和にかけて花開いた種々の銭湯文化の面影が、今でも残されています。
東京を離れ、約半年に渡ってお届けしてきた全国銭湯行脚の旅。
地方銭湯独特の姿とそれぞれの重ねてきた歴史を、お楽しみいただけたのではないでしょうか。
 
さて、2007年に始まったトーキョー銭湯。
東京を廻り、全国を巡った旅は5度目となる今年の大晦日、東京にていよいよ集大成を迎えます。
しかし私が東京を離れていた1年の間にも、東京銭湯の情勢は悪化の一途を辿っていました。
跡継ぎの不足、経営者の高齢化、どうしようもない入浴客の減少。
ここで伝え続けてきた逆風は、収まる気配がありません。
それどころか、未だ記憶薄れぬ大震災。
東京でも地震の影響により、昔ながらの風情ある銭湯が、何軒も廃業に追い込まれました。
古態というのは、それだけ老朽化が進行していることの裏返しです。
戦後の建設ラッシュから、半世紀。日本を襲った未曾有の大震災は銭湯の世界にとっても、
現状が抱える問題を浮き彫りにさせられる大事件となりました。
 
おや、長い長い夏の日も傾き始めましたね。
次の目的地が、呼んでいます。そろそろ、私は行かなくてはなりません。
東京銭湯の行く末を見定め、その姿を見届けるために―
私たちに残された時間は、もう長くはないのですから。

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