ゴールデン街ってご存知?
知らない人のために個展のご案内に続いて解説しますね。

今日は写真より文章が多くてごめんなさい。

今度やる展示のお話。

軍艦島は長崎県にある端島の通称。

明治時代には採炭が始まっていた、炭坑島。最初は露天掘りで経営されていたが、明治23年、三菱財閥が買い取り本格的な採炭を始める。

やがて狭い島にたくさんの坑夫を住まわせるために、護岸の拡張と鉄筋アパートの造営が始まる。

軍艦『土佐』に似ていることからその名がついた。拡張された護岸はデッキ、居並ぶアパートはまるでブリッジに見える。

島で取れる良質な石炭は明治期から日本の近代化を支え、そして、戦時需要と戦後復興に大きく貢献した。昭和35年頃、島の人口がピークを迎え、5000人以上であったという。日本でもっとも人口密度が高い場所であった。

しかし興隆を極めたこの島も、やがて石油という代替燃料によってその役割を終え、74年の閉山とともに無人島になった。



軍艦島を訪れたのは2001年。
大学四年の夏と秋。

この時、夢中で撮影した「軍艦島」を今一度、総括してみようと思う。
そんなチャンスをゴールデン街のギャラリーバー、ナグネのオーナーから頂いた。

今、トーキョーレトロを通じて情報を発信しているように、
こうして近代建築を巡ることに興味を持てたのは
この時がはじまりかもしれません。

興味のある方は、僕のHPにも写真の一部が載っております。

展示期間:6月12(月)-6月24日(土)
お店:ナグネ-nagune-

営業時間:午後7時~深夜

定休日:日曜日

チャージ:1000円 ドリンク:600円~


展示をするお店のロケーションのお話。

戦後すぐにGHQが公娼制度を廃止しても飲食店の看板で公然と売春が行なわれていた場所がいくつかありました。東京の町田、吉原、神奈川の横浜黄金町、大阪の飛田新地、そして、新宿のゴールデン街。そうしたエリアを警察が地図上に赤い線で囲んでいた事から、「赤線地帯」と呼ばれていました。

町田や飛田新地、そして黄金町の京急線のガード下では未だに、スナックのような飲食店の看板のお店で外国人や日本人娼婦が客引きをしています。未だ残る日本の風景としては驚くべき場所です。

一度様子を見たくて黄金町のガード脇を通り抜けたことがあります。居並ぶ一、二間ほどの狭い間口のお店から、たくさんの娼婦が顔を出して客引きしているという、平成の世と、どこまでもかけ離れたその光景に唖然とするより他無かったです。

吉原は上野や浅草からほど近く、江戸時代から続く大遊郭で戦後、売春防止法施行後も、今日まで続く由緒正しい立派な風俗街であることはだれもが知るところ。

そして今日の本題。
新宿の外れ、歌舞伎町一丁目にあるゴールデン街は、町田や黄金町と同じように長屋状の建物に狭い間口のお店が続く飲食店街で、二階に上がるとちょんの間と呼ばれた、売春行為のためのスペースがあった。

高度経済成長期やバブル期を経ても、地上げにより店舗は減ったものの、再開発されることなく残ってきた。

昭和31年に売春防止法が出来、かつての狭いちょんの間は、今日小さなバーや飲み屋が居並ぶ独特の空間となっている。

当時の面影を偲ばせたまま、いまや女性でも歩く事が出来る貴重な赤線地帯です。

ゴールデン街の場所

ということで、もう週があけたら展示が始まります。
写真の準備もほとんど出来ましたが、
今晩、仕上げの焼き付けをしたいと思っています。