時計塔3部作・最後のコラムです。


銀座中央通りの和光時計塔の子供たちは、銀座ライオンズクラブの寄贈でしたが、

数寄屋橋ライオンズクラブが寄贈した時計塔が数寄屋橋公園にありました。


その名も「若い時計台」。何やら、見覚えのあるカタチですね。

そうEXPO'70、1970年に行われたアジアで最初の万博、

日本万国博覧会の「太陽の塔」にそっくりじゃありませんか?!


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数寄屋橋の塔が後なんじゃないかと思ってしまいますが、こちらは1966年の制作

大阪の万博よりも4年も早い制作です。


兄貴分なのに「若い時計台」とはこれいかに。

まぁ、同じ制作者なので問題はなく、

同じコンセプトでのバリエーション違いはよくある話しです。


というかビックリしたのは、数寄屋橋ライオンズクラブが岡本太郎に発注したということ。私たち一般ピープルが、岡本太郎を身近に感じだしたのは、

やはり前述の大阪万博の辺りからではないでしょうか。


芸術は爆発だ」の掛け声と共に、あのギラッとした鋭い目つきは、

無限のエネルギーを感じさせるものでした。

その4年も前から、氏に発注するという先見性に今更ながらビックリしたのです。


この塔は作られてからすでに44年経っています。

周りの風景はものすごいスピードで変化していると思うのですが、

微塵にもまったく古さを感じさせず、より一層強烈な個性を放っています。


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まぁ顔の部分が時計になっていて、幾分かは実用的にはなっているのですが。

しかしもっと気になることが、なんでシチズン製なんでしょうね。

銀座のお膝元ならやはりセイコー製だと思ったのですが。

これもやはりミステリーです。


ということで、次のコラムもやはり時計台がらみで。

ラーメン「味の時計台」です。ハハハ冗談です......つづく