松の内にお年賀を書きたいと思って、去年は何を書いたかなと見てみたら、
干支に因んだ「十牛図」のことでした。


さて、今年の干支トラが出てくるお話し、いっぱいあるようでそんなに思いつきません。
でも、「これ!」という一冊がありました。
中島敦の『山月記』です。
教科書にも載っている作品だから、読まれた方も多いかもしれませんね。
好きな文学作品と言われたら十指に入れられる作品です。



隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。



意味はかろうじて取れるとしても、ふりがながなかったら、
完璧に読むのはなかなか難しいですよ。
でもね、この作品、漢字の多さに尻込みして敬遠したら、すごく勿体無い!
ちょっと声に出して読んでみれば、そのリズムの美しさに魅了されます。
書き出しで本の購入を決めることはよくありますよね?
吸い込まれるみたいに本の世界に引き込まれる、そんな冒頭を立ち読みしたら、
レジに並ばずにはいられません。


『山月記』は、『平家物語』や『源氏物語』などにも引けを取らない
冒頭だと思うのです。


内容は、身分の低い官僚で一生を送ることを望まなかった男が、
詩作で身を立てようとするも叶わず、「尊大な羞恥心」のために発狂し、
虎になってしまうお話し。
あまり年賀向きじゃありませんね。
でも、このお話しは人の心について、深く考えさせられる作品です。


李徴は言います。


人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だ
己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ


「青春」というような季節を過ぎると、自分の内面にある激しい感情に
翻弄されるようなことはほとんどなくなります。
それでも、嫌なことがあったり、望んだことが叶えられない時、
やはり自分の中の虎をうまく操縦することができなくなる。
ひどく一つの物事に捉われている時は、誰もが虎になっているのかもしれません。
新しいこの季節には、ちょっと殊勝な気持ちになって、そんなことを考えたりします。


さて、この李徴、どうしようもないヤツに思えますが、最後はかっこいいんです。
ミステリーじゃないけど、最後は書かないでおきますね。
インターネットでも公開されているので、読んでみてください。


 



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中島 敦
新潮社
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