友人の甥っ子が好きだというポケモンの話しになった。
ピカチューの存在くらいしか知らなかったので、
詳しく聞いてみて驚いた。
ポケットモンスターたちを「飼いならす」と言うのだ。
ポケットモンスターを手に入れて戦わせ、
ステージを上げていくのだそうだ。
モンスターたちは、戦わない時には、なんとか玉という
入れ物に入れられているらしい。
ステージを上げることやキャラクターをコレクションすることに、
子どもたちが血道を上げるのはよくわかる。
昔の子供たちがプロ野球カードを集めたり、
キン肉マンの消しゴムを集めたのと同じだろう。
子どもたちは昔と何も変わっていない。
変わったのは、大人の哲学なのだと思う。
大人に哲学が無くなったから、異形のものを「飼いならす」遊びを
子供に与えても平気になったのだと思う。
私が子どものころ、異形のものは友達だった。
のび太にとってのドラえもんがそうだったし、
妖怪人間のベロがそうだった。
異形のものと子どもとの関係は対等だった。
時に彼らは、忌み嫌われる存在として大人から排除される。
「あんな子と遊んじゃダメですよ!」
貴婦人みたいなママが子どもに言う。
ベロは悲しそうな顔をして「行けよ、坊や」と言うのだ。
そこから、画面の前の子どもが受け取るのは、
大人の理不尽だった。
大人は時に間違ったことを言う。
だってベロは友達なのに、大人はわかっていない。
例え姿形が自分と違っても、関係は対等であり、
友達になることもできるのだ。
子供向けの番組や本は、大人が作る。
現実はこうである。
でも本当はこうあってほしい。
少なくとも理想は、こうあるべきなのだ。
そんな大人の想いを形にしたのが子供向けの商品だ。
自分と別の存在を飼いならす?
そして戦わせる?
子どもに「使役」の関係を教えることをよくないとは
思わないのだろうか?
戦いたければ自分で戦えばいい。
モンスターの入れられているなんとか玉も気に入らない。
すべてのものは自由であるべきだと私は思う。
行くも帰るもやめるも、すべては自分の意思で決めることだ。
ポケットモンスター、いかがなものかと思いませんか?
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小庭三さんは、そのお子さんのお話以外、実際にポケモンのゲームで遊んだり、テレビアニメをご覧になられたことはありませんか?
確かに、飼いならして、戦わせるって表現は間違ってはいないのですが。
もうひとつの表現として、
「育てて、競技会に出場する」
とも言えるのですよ。
ワンちゃんの競技会みたいなアレです。
んまぁ確かに悪人のポケモンと対決するようなシチュエーション、古くはウルトラセヴンとカプセル怪獣的な感じもありますけど、あくまで作品の世界観から感じるのは「かわいいペット」。大怪獣もいるけど(汗)
いや、むしろペット文化にもの申したいことのほうが多いのですが、ひとまずあたくしの主観でございます♪
例の爆裂画面騒動から興味を持って、初代のゲームにハマッて最初のTVシリーズも観ちゃいました、三十路過ぎてから。
とはいえ、今回の記事はそんなヲタ中年の心がちょいと動きました。
>すべてのものは自由であるべきだと私は思う。
そう。なのにいつの間にか、自由に生きることで発生する覚悟と、責任の所在が忘れられているんじゃないかと。
とりとめがないのでこのあたりで。