元の場所から引っこ抜いて、ハコだけ持ってきたようなものが苦手だ。例えば結婚式教会。どうして二人の思い出の場所じゃいけないのって思う。ハウステンボスに代表される外国の風景を再現した作り物の街。行きたいなら、お金を貯めたらいいじゃないと思う。オランダになんてずっと行けないかもしれない。それでも、風景画を眼に焼きつけて、地図の旅でもする方がずっといい。同じ引っこ抜いて持ってきたものを集めたテーマパークでも、ここは違う。ここは、文化と歴史の集積。

小金井にある江戸東京たてもの園は、街の中に置いたままにしておいたら消えてしまう建築物を集めている。看板建築に文化住宅、千と千尋の神隠しのモデルになったという銭湯、子宝湯。中でも圧巻は、二・二六事件で青年将校の凶弾に倒れた高橋是清邸だ。事件のあった二階の寝室には刀疵も残っていて、昭和史の重要な一場面があった場所にいるんだと思うとちょっとどきどきした。一階は茶房になっていて、お茶と軽食が楽しめる。「人が殺された場所で軽食ってどうなのさ?」と思いながらも、是清翁なら「よかろう」って言うだろうって勝手に決めて抹茶をすする。

二・二六事件は、どの立場で見るかでまったく様相が変わってくる。青年将校に感情移入すれば、それは「大義」になり、大局から観れば、「軽率」になる。この事件をどう位置づけるかは歴史家に任せるとして、遺された妻たちから見た澤地久枝の『妻たちの二・二六事件』は、ぜひ読んでほしい一冊だ。



たった十ヶ月の結婚生活を過ごした後、事件に連座し処刑された夫の思い出を胸に、再婚もせずに生きた丹生誠忠(にうよしただ)夫人のその後を書いた項は、男からは反感を買うかもしれない。



英雄の妻、志士の妻、そんな誇りがどれだけの生きる糧になるだろう。しかし、「死ぬる迄恋女房に惚れ候」と書いて自らは銃殺された男を、女は忘れることが出来るだろうか。

(中略)


男たちは死に直面して妻への愛着を強くした。男たちが心を打明け、安らぎ、そして占有することの可能な存在は妻だけになった。そのためであろうか、死んでゆく男たちは一人も「再婚して忘れてくれ」とは言わなかった。




「貞女は二夫にまみえず」が当たり前だった時代のこと、澤地さんの意見は進歩的に過ぎるかもしれない。それは重々承知の上で書いたんだろう。あえて書かずにはいられなかったことに、弱さへの憤りを感じずにはいられない。それはきっと、妻たちが思ったこともないであろう怒りの結晶なのかもしれない。


妻たちの二・二六事件 (中公文庫)



沢地 久枝
中央公論新社
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