宮沢和史が山梨県出身だと知った時は、「うそ~ん」と思った。沖縄じゃないの~って。土地が人に与える影響は大きく、長じて興味を持った場所からそれを受け取る人もいれば、生まれ育った場所の影響から逃れられない人もいる。
大木惇夫は広島出身だけど、そのイメージは薄い。原爆が落とされた時、広島にいなかったことは一つの要因だろう。しかし、いなかったからこその苦しみも持っていたかもしれない。
同じく広島出身で、「ヒロシマ」のイメージを一身に背負った作家の姿が、原爆投下前年の銀座にあった。
引越の荷は少しずつ纏められていた。ある午後、彼は銀座の教文館の前で友人を待っていた。眼の前を通過する人の群れは破滅の前の魔の影につつまれてフィルムのように流れて行く。(原民喜「死のなかの風景」より)
1944年(昭和19年)に妻と死別した原民喜は、二人で住んだ千葉の家を引き払い、実家のある広島に疎開する。そして翌年、8月6日を迎えたのだ。原爆投下直後の惨状を書いた「夏の花」などで評価を受けるが、昭和26年、中央線のレールを枕に自ら命を絶った。
元々、妻との美しい思い出を書き残すため、その死後1年だけ生きようと言ってた彼が、すべて書ききったと思っての死だったのかもしれないし、別の理由があったのかもしれない。真相は知るべくもないが、彼が落として行った広島のかけらは、まだ銀座教文館の前にあるような気がする。
「夏の花」、「死のなかの風景」とも収められています。
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