なくなって悲しかったものランキングの中でも、上位に浮かんでくるのが、御茶ノ水の文化学院だ。学校自体がなくなったわけではないけれど、アーチ型の入り口を残し、古い建物は解体されたという。古い建物に這う蔦が、静寂を切り取ったような雰囲気を作り出していたのに。


学校令に縛られない自由な教育を目指し、1921年に創立されたこの学院では、多くの作家や知識人が先生をしていた。有島武郎に正宗白鳥、与謝野晶子、鉄幹夫妻。錚々たる名前の並ぶ名簿の中、だいぶ時代が近づくと、若き日の米原万里さんの名前を見つけることができる。


エッセイが中心の米原作品の魅力は、一級のロシア語通訳者としての経験に裏打ちされた外国や日本への洞察力の確かさと、その毒舌の面白さ。エッセイストとしてのデビュー直後から大好きだったから、彼女が小説を発表した時には、買うのを少々ためらった。名エッセイストが名小説家とは限らない。だけど、そんな心配は取り越し苦労だった。米原さんは、小説家としての才能も持ち合わせていたのだ。


 


                     オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)


                 オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)


 


1960年のチェコ、プラハ。50以上の国からやって来た子どもたちが通うソビエト学校という小学校に、日本人の女の子、弘瀬志摩が通っていた。志摩が一番好きだった舞踊の授業の先生は、老女とは思えない美しい体を、マレーネ・ディートリッヒのような前時代的な衣装で包み、口汚く生徒たちを罵倒しまくるオリガ・モリソヴナという女性だった。


32年後、ソ連邦崩壊後のモスクワ。ロシア語通訳者になった志摩が、オリガ・モリソヴナの過去を辿る。スターリン時代を生き抜いた先生の人生には、多くの謎があった。


 


推理小説のようなワクワク感も感じさせてくれるこの作品には、人生の悲しみも沢山詰まっている。印象的だったのは、同級生の男の子の言葉。大人になり、エリートの道を進んでいたのに、反体制を叫んで強制収容所送りになった彼は、収容所を出た後、清掃員として働いていた。


 「これは、僕の選んだ運命だし、この仕事は心を売り渡さなくてもいいからとても気に入っている」


人の悲しみや絶望の中のユーモアや人間同士の出会いの意味深さが詰まったこの作品、米原作品の中でもイチオシの本です。


 


※今回の作品は御茶ノ水が舞台ではありません。大の米原万里ファンの「米原万里→文化学院→御茶ノ水」の連想ゲームを許して下さい。