みなさん、こんにちは。
蒲田のランチです。
バンクーバーオリンピック、始まりましたね。
ところで、わたしのお話は4年前のトリノのころの出来事です。
題して、もやもや病について。
この病気の正式名称は
ウィリス動脈輪閉塞症(ウィリス どうみゃく りんへいそくしょう)と言います。
脳のなかには太い血管が通っていますが、
その血管がなく、
毛細血管が代わりをしている病気です。
脳を映像で映すと、
その様子がもやもやしているように見えるので、
日本のお医者さんが
「もやもや病」と名付けました。
今ではもやもや病と言えば、ああ、あの病気のことね。
と専門家でも分かるそうです。
この病気は生まれつきもので、
わたしの場合も母のお腹にいるときから、もやもやしていたのだそうです。
遺伝性のものではありません。
ですから姉妹で同じに病気になるのはひじょうに珍しいそうですが、
うちは妹も同じ病気です。
症状は人によって、さまざま。
症状が出る時期も人によって違います。
もしかしたら、気がつかないで一生を終わる人だっているかもしれません。
ただ、子供のときに発症すると、かなり症状は重いようです。
発症すると、寝たきりになってしまう人から、
手足が不自由になる人まで、います。
妹は片手と片足に少し力が入りません。
小さいころ発症してずうっと寝たきりだった人が、
成長してからすっかりよくなり、
子供まで生んだという話もあります。
わたしの症状が出始めたのは2006年のちょうど今頃。
荒川静香が金メダルを取ったのを病院のベッドで知りました。
はじめは、更年期かと思いました。
少し歩くと息が切れる。
頭が痛い。
そんな訳で、駅のベンチに座って電車を一本を見送ったこともあります。
そのうち、よく転ぶようになりました。
なんでもないのに、尻餅をつくのです。
さらに、自分の足が、まるで自分の足じゃないみたいになりました。
左足のももの付け根から、
勝手に動くんです。
そんな症状が出たあとで、ついにわたしは倒れました。
うちのトイレに行こうとして。
取手を手でつかみそこね、そのまま、へなへなっと廊下に倒れ込みました。
それを妹がちょうど見ていて、
「だいじょうぶ?」
たぶん、2~3日前からもうおかしかったんでしょう。
わたしは病院へ運ばれました。
そこは妹が前からお世話になっていた病院です。
池上にある眞田クリニックと言います。
ここには書いてないのですが、
院長の眞田祥一先生は、
家康に最も恐れられた男・
眞田幸村(さなだ ゆきむら)の末裔なのだそうです。
それはさておき、
わたしは、さっそくCTかなんかを撮られました。
診察室には妹が一緒に入っていましたが、
その映像を見ながら先生が言いました。
「なんかねー、君(妹のこと)と同じ病気に見えるよ」
蒲田のランチです。
バンクーバーオリンピック、始まりましたね。
ところで、わたしのお話は4年前のトリノのころの出来事です。
題して、もやもや病について。
この病気の正式名称は
ウィリス動脈輪閉塞症(ウィリス どうみゃく りんへいそくしょう)と言います。
脳のなかには太い血管が通っていますが、
その血管がなく、
毛細血管が代わりをしている病気です。
脳を映像で映すと、
その様子がもやもやしているように見えるので、
日本のお医者さんが
「もやもや病」と名付けました。
今ではもやもや病と言えば、ああ、あの病気のことね。
と専門家でも分かるそうです。
この病気は生まれつきもので、
わたしの場合も母のお腹にいるときから、もやもやしていたのだそうです。
遺伝性のものではありません。
ですから姉妹で同じに病気になるのはひじょうに珍しいそうですが、
うちは妹も同じ病気です。
症状は人によって、さまざま。
症状が出る時期も人によって違います。
もしかしたら、気がつかないで一生を終わる人だっているかもしれません。
ただ、子供のときに発症すると、かなり症状は重いようです。
発症すると、寝たきりになってしまう人から、
手足が不自由になる人まで、います。
妹は片手と片足に少し力が入りません。
小さいころ発症してずうっと寝たきりだった人が、
成長してからすっかりよくなり、
子供まで生んだという話もあります。
※ ※ ※
わたしの症状が出始めたのは2006年のちょうど今頃。
荒川静香が金メダルを取ったのを病院のベッドで知りました。
はじめは、更年期かと思いました。
少し歩くと息が切れる。
頭が痛い。
そんな訳で、駅のベンチに座って電車を一本を見送ったこともあります。
そのうち、よく転ぶようになりました。
なんでもないのに、尻餅をつくのです。
さらに、自分の足が、まるで自分の足じゃないみたいになりました。
左足のももの付け根から、
勝手に動くんです。
そんな症状が出たあとで、ついにわたしは倒れました。
うちのトイレに行こうとして。
取手を手でつかみそこね、そのまま、へなへなっと廊下に倒れ込みました。
それを妹がちょうど見ていて、
「だいじょうぶ?」
たぶん、2~3日前からもうおかしかったんでしょう。
わたしは病院へ運ばれました。
そこは妹が前からお世話になっていた病院です。
池上にある眞田クリニックと言います。
ここには書いてないのですが、
院長の眞田祥一先生は、
家康に最も恐れられた男・
眞田幸村(さなだ ゆきむら)の末裔なのだそうです。
それはさておき、
わたしは、さっそくCTかなんかを撮られました。
診察室には妹が一緒に入っていましたが、
その映像を見ながら先生が言いました。
「なんかねー、君(妹のこと)と同じ病気に見えるよ」
続きは来週
眞田クリニック、とってもご近所です。
行ったことないけど、腕がいいのでしょうか。
しかも幸村の末裔とは! 真田家って、ちょっとときめきます。