"柔"なき剣に強さなどない(by鷹の目)



おはようございます



ピロサカ・エリー・マサムネです





前回

高円寺と柔術と【壱】





今回は柔術の歴史をご紹介します。

わかりやすく図解付きでいきますー





絵にすると結構シンプルなんですよね


しかし逆輸入されるなんて、なんと珍しい事例でしょうか



????を照らし合わせ、文章を読んでくださいませ





?講道館

江戸時代まで、刀を使わない素手の闘いの術といえば、
様々な流派があり、総じて「柔術」と呼ばれていた。

フィクションだが、「修羅の門」の「陸奥圓明流」も柔術の類か。

だから、古来の柔術は打撃アリ、関節アリ、何でもアリの世界



殺ルカ殺ラレルカ



そんな感じだったところに、明治になり、「道」としてただの技術だけでなく、道徳観をミックスさせ、
ある種スポーツとして)ルールを整備して、革命を興したのが嘉納治五郎(カノウジゴロウ)が立ち上げた「講道館」「柔道」



いろいろな要素が絡み合って、瞬く間に日本全国に広がっていく


#そう柔道て昔からじゃなくて、実は明治からなんです。







?前田光世(マエダミツヨ)(別名:コンデコマ)

そんな講道館の門下生だった前田光世

世界に柔道を広めるためにアメリカに渡米

時代は明治時代

ボクサー、レスラー、プロレスラー、様々な相手と異種格闘技戦を繰り広げていく



その戦!



全戦無敗!


#いやあ、これってすごいことですよ。どんなに強い人でも、闘いになると時の運が絡んで
 連勝なんてできない


#ましてや無敗なんて!


しかも今でこそ「階級」がありますが、当時は「無差別級」

前田氏はせいぜい70kgだったと聞きます。
そんな体重差で勝ち続けていたという事実が柔術が格闘技としてどれだけ有効だったか
物語ってます。

(後にグレイシーにより、それが証明され、全世界に発信されます)

#まさしく陸奥圓明流かもしれないですね。



そんな中、あまりに異種格闘技をする前田氏と創始者嘉納氏とで、考え方に違いが生まれ始める。

嘉納氏はいふ
「柔道はただの格闘術ではない。見世物でもない。野蛮な闘い、私闘は控えなさい」

食い違いは続き、その結果、前田氏は破門となる!



柔道を背負えなくなった前田氏は柔術(もともと柔術)として、なおも世界の猛者と闘い続け、
ヨーロッパ、北米、南米をさ迷い、闘う。


そして行き着いた最終の地は「ブラジル」


ブラジルのある土地に定住をし(家族も持ち)、道場を開き、柔術を教え広めていく。

その門下生に、かの有名なエリオ・グレイシー(グレイシー柔術のマスターオブマスター)もいた。
当時はまだ幼い子供だった。。



あ、紙面がなくなったので今回はここまで。。??は次回へ~



ちなみに1
合気道ももとはといえば図にある「A.柔術」の一つから発展・派生したもの

ちなみに2
 修羅の門の第四部に出てくる「コンデ・コマ」はまさしく前田光世のこと
 グランシエーロ→グレイシー
 しかし1990年代にこれを描いてるところが先見の明ありありですごすぎる