現存する高円寺に行ってきたんだけど、
まあ後でいっかと思ってね。先に歴史を掘り下げてみようかなっと。

ということで、歴史の続きを。。。




時は遡ること江戸時代末期。
文献やら古地図やらを参考にしながら、当時のこの辺りのイメージを絵にしてみたのじゃよ。

紙芝居風だね。あくまで風。

ここで注意点がたくさんあるのよね。
・これは僕のイメージで描かれています。
・「高円寺」を中心に描いているので、描かれていない村はたくさんあります。
・縮尺は正確ではありません。

まあいってみようか。

絵がしょぼい?いやいや、「わかりやすく」するために「わざと」だよ。ふふふ。ほんとかなあ??

この時代、この辺り一体はだだっ広い農村地帯だったんだね。
環七も環八も無い。もちろんJR中央線やら地下鉄も無い。
ただ「青梅街道」はもうあったんだね。
青梅街道とは、、、
1603年に江戸城築城のため青梅の石灰を江戸へ運ぶために整備された街道。ねえ、結構古いんだね!もっと昔には「成木街道」(青梅の成木で石灰がとれたから)とか「石灰の道(イシバイノミチ)」「白粉道(オシロイノミチ)」とか呼ばれてたり。

青梅街道沿いに村があり、主に農業で生計を立てていた。

田舎がある人は田んぼのある原風景を思い浮かべたら一番イメージが近いのでは??

青梅街道沿いに「中野」「高円寺」「馬橋」「阿佐ヶ谷」「荻窪」と村が続く。

「中野」は「宿場」だったから、この辺りじゃ一番栄えてただろうね。
農家で作った米や穀物を青梅街道を使って輸送して、中野で卸してたみたいだ。

「馬橋」は昭和30年?頃の新住所表示の際に消えてしまった地名だ。
今は小学校とか交差点とか神社とか、建物にその名残が残ってる。

「阿佐ヶ谷」「荻窪」がどれだけ栄えてたかはよくわからなかったけど、高円寺より
栄えてたっぽい感じがする。資料からして。(え?ちゃんと掘り下げろって?すすみません。。)

高円寺には、古地図で確認したら「高円寺」と「長仙寺」があったよ。
他には特に目立ったものは無し。
(悪い意味じゃなくて)まだ田舎だったんだねー。




言いつつも、他の五街道やら江戸の賑わいに比べると、そこまで賑わってる街道でも
村でもなかったみたいだ。まだこの時代の時は。。。
これからこのエリアは何度も何度もターニングポイントを迎えて迎えて、今に至るのです。

つづく。。