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 ネコはどこでも寝る。飼い猫だって気が向いたら外で寝る。たまに帰ってこない事もあるかもしれない。そんなんで、気まぐれだとか情が薄いとか言われる事もあるけど、ネコは本当にどこにでも寝ているわけじゃない。あたりまえのことだが、自分が本当にいたいと思った場所にしかいないのがネコだ。そこが、隣のお家だったりコタツの中だったり、あるいは炊飯ジャーの中だったり土鍋だったりするだけの話だ。


 そんなわけで、ネコのための居場所を作ってあげようと思うと、たいていは失敗する。日当りのいい場所に置いた、ふかふかのクッションの上が居心地が悪いわけがない。でも、なぜか狭くて暗い椅子の隙間や段ボールの中に収まったりする。不思議なのは、ネコがどこに行っても、ネコがいることに違和感がないことだ。ネコがいれば、そこがネコの居場所になるのだ。


 どこか素敵な居場所があって、そこにネコが行くのではない。ネコがいるところ、それがすなわちネコの居場所になる。ネコがいて初めて、「ネコのいる風景」が完成する。ネコはバラバラになったジグソーパズルの最後の1ピース。そしてトランプのワイルドカード。ネコがいるだけで、もうただそれだけで完璧だ。



 二丁目を歩いていると、仲通りの果物屋の店先に、ネコの小屋がある。そこに書いてあるのは、そこにネコが生きていたという証。「マオ」という名前と、マオが死んだ日の日付だ。



 僕は店の中に入って、おじちゃんに話しかけた。



 「店の外にあるのは、ネコの小屋ですか?」


 「そうだよ。でももう死んじゃったけどねえ」


 「そうなんですか……じゃあ、いつもあそこで寝て?」


 「いやぁ、いつもはココにいたんだ(おじちゃんが座ってるレジの前の足下の棚を指差して)あの小屋には、昼間に入って、あそこから道路を眺めてたんだよ」


 おじちゃんが指差した隙間を覗き込むと、なんてことはない、新聞紙とかヒモとかが入った棚だった。目を開けたらすぐにおじちゃんもいるし、あったかい暖房も近くにあるし、きっと居心地のいい場所だったんだろう。そうだ、ここにはネコがいたんだ。日がさしてあったかくなったら、外に出て、あの小屋に入って、むにゃむにゃ眠りながら外を眺めてた。ホコリっぽい外の道を歩く、新宿二丁目に済む人たちを見つめていたんだ。


 そう思うと、もうおじちゃんの足下にはネコがいる気がしてしょうがなかった。そのネコが見つめていた新宿二丁目、仲通りはただの道には見えなくなった。ネコはたしかに気に入った場所にしかいないのだ。ネコがここを作ってくれたんだ。


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