3月30日。
廃業を翌日に控えた、麻布十番の越の湯を訪れた後のことを話したい。
夕方は京王線に乗り、府中方面へ向かっていた。
その日限りで廃業となる、調布の銭湯に行くためだ。
しとしと降り続く雨の中を歩くと、緑湯はすぐに見つかった。
男女の暖簾は仲良く並び、蓑亀をあしらった小柄ながら風格ある懸魚(げぎょ)飾り。
表の庭木も手入れされ、タイルもしっかりと磨かれているのだが、
脇に張り出された手書きの断り書きが、静かに廃業を示している。
脱衣所の格天井は円形の模様が入り、赤いカーペットなどが少し洋風の空間だ。
隅のガラスケースには虎や二宮金次郎、恵比寿大黒の置物がずらりと並んでいる。
訪れたのは16時の開店直後だが、入浴客は自分の他に2人だけ。
脚も伸ばせないほどの賑わいを見せる越の湯とは対照的に、あきれるほど静まり返った浴室だ。
営業最終日ながら番台さんも特に変わった様子も見せず、
ただただ夕方のニュースに見入っている。
真ん丸に陣取るのは、関東圏では大変珍しい真ん丸の浴槽だ。
そして錦鯉と金魚の艶やかなタイル絵、縦横無尽に蔦を伸ばす青々としたポトス。
立ち上る湯気に囲まれて、鹿の親子はまるで密林の中にいるかのようだ。
奥には、西伊豆のペンキ絵がある。
描き換えは5年近く前なのだがまだわりと鮮やかで、
男女の境の上という妙な位置に、とても大きな入浴の心得集が掛かっている。
男湯側は相変わらず静かで、話し声ひとつ聞こえない。
常連客も、20分もしないうちに切り上げてゆく。
しかし女湯側は、
「いよいよ今日で最後だねえ」 「寂しくなるわねえ」
などといった廃業を惜しむ声が、しばらくの間響いていた。
新聞にまで大々的に取り上げられ、多くの人に看取られた越の湯。
だがそのような最期はとても稀で、幸せなことなのだ。
多くはひっそりと、その生涯を終えていく。
その記憶は人知れず、かき消されていく。
庭にはモーニングを羽織った紳士と、着物姿の淑女の石像が佇んでいる。
この銭湯を開業した、先代の像である。
創業以来、いかなる時も緑湯を見守ってきた2人?
だが居場所を失ったそれの行く末は、もはや私ごときが知る由もない。
○ 緑湯
住所 東京都調布市多摩川5?11?2
※2008年3月30日をもって廃業
廃業を翌日に控えた、麻布十番の越の湯を訪れた後のことを話したい。
夕方は京王線に乗り、府中方面へ向かっていた。
その日限りで廃業となる、調布の銭湯に行くためだ。
しとしと降り続く雨の中を歩くと、緑湯はすぐに見つかった。
男女の暖簾は仲良く並び、蓑亀をあしらった小柄ながら風格ある懸魚(げぎょ)飾り。
表の庭木も手入れされ、タイルもしっかりと磨かれているのだが、
脇に張り出された手書きの断り書きが、静かに廃業を示している。
脱衣所の格天井は円形の模様が入り、赤いカーペットなどが少し洋風の空間だ。
隅のガラスケースには虎や二宮金次郎、恵比寿大黒の置物がずらりと並んでいる。
訪れたのは16時の開店直後だが、入浴客は自分の他に2人だけ。
脚も伸ばせないほどの賑わいを見せる越の湯とは対照的に、あきれるほど静まり返った浴室だ。
営業最終日ながら番台さんも特に変わった様子も見せず、
ただただ夕方のニュースに見入っている。
真ん丸に陣取るのは、関東圏では大変珍しい真ん丸の浴槽だ。
そして錦鯉と金魚の艶やかなタイル絵、縦横無尽に蔦を伸ばす青々としたポトス。
立ち上る湯気に囲まれて、鹿の親子はまるで密林の中にいるかのようだ。
奥には、西伊豆のペンキ絵がある。
描き換えは5年近く前なのだがまだわりと鮮やかで、
男女の境の上という妙な位置に、とても大きな入浴の心得集が掛かっている。
男湯側は相変わらず静かで、話し声ひとつ聞こえない。
常連客も、20分もしないうちに切り上げてゆく。
しかし女湯側は、
「いよいよ今日で最後だねえ」 「寂しくなるわねえ」
などといった廃業を惜しむ声が、しばらくの間響いていた。
新聞にまで大々的に取り上げられ、多くの人に看取られた越の湯。
だがそのような最期はとても稀で、幸せなことなのだ。
多くはひっそりと、その生涯を終えていく。
その記憶は人知れず、かき消されていく。
庭にはモーニングを羽織った紳士と、着物姿の淑女の石像が佇んでいる。
この銭湯を開業した、先代の像である。
創業以来、いかなる時も緑湯を見守ってきた2人?
だが居場所を失ったそれの行く末は、もはや私ごときが知る由もない。
○ 緑湯
住所 東京都調布市多摩川5?11?2
※2008年3月30日をもって廃業