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| 2010/06/22 06:55 | コメント(2) | トラックバック(0) |
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東京大空襲は、最大の3月のみならず、その前から敗戦まで8ヶ月間くらい
米国の執拗な爆撃が続いたそうです。
工業地帯の蒲田エリアは軍需工場も多く追加空爆されたそうです。
蒲田エリアだけで5000名の死者、東京全体で10万名の死者。
戦争とはあまりにもむごいですね。
蒲田の大工場といえば、JR線路から見えた新潟鉄工は、いつの間にかなくなりました。モノづくりの街、ナッパ服に誇りこそあった職人の街は変わりましたね。
なつかしの蒲田さま
蒲田は昔、職人の街だったんですよね。
隅田公園が死体でいっぱいだったことを覚えているから
どうしてもお花見する気になれないという人を
わたしは知っています。
たった65年前のできことなのに、
月日の移り変わりってホントに速いものだと思います。
蒲田の空襲の記録は残っていないことも多いようなので
放光地蔵のような記念碑は大切にしていきたいです。
毎年、8月15日に大田区主催の花火大会があります。
わたしはいつも参加していますが、
あれも戦争で亡くなったかたたちの霊を
おくるためのものだと思っています。
大田区は平和都市宣言というのをしています。
まあ、それはそれでいいんじゃないかと思いますが。
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