矢口渡の放光地蔵

蒲田
2010/06/22 06:55 | コメント(2) | トラックバック(0)
  • ランチ
みなさん、こんにちは。
蒲田のランチです。

東急多摩川線「矢口渡」に放光地蔵というのがあります。
脇に木の枠があってこんな由来が書いてありました。

0447_lunch_hoko.jpg



「第二次世界大戦まっただ中の昭和二十年四月十五日夜半、この地はアメリカ空軍B29の爆撃を受け、無数の焼夷弾と爆弾が投下されて矢口渡駅から多摩川の土手に至る迄完全な焼野原となり多数の焼死者を出しました。

当時、この家の主、鈴木三郎は一人焼跡の防空壕に残り、廃虚となった土地をみてまわると、あちらからもこちらかも焼死した人の遺骨が見出されたので涙ながらにそれ等を拾い集めては供養をしていました。

何の罪もないこれ等戦災横死者の霊を慰めたくてこのお地蔵さまの建立を思いつき、昭和三十二年九月二十一日、その名も「放光地蔵」と名づけて末の世までも平和である事を願いました。」

 3月10日の東京大空襲は有名ですが、
隅田川まで行かなくても
こんな身近な所に戦争の傷跡が残っていたんですね。
なんにも知りませんでした。

 「メゾン一刻」というアニメの中で音無響子さんが
屋根裏部屋で五代くんにしみじみ言うシーンがあります。
戦争中に書かれたいたずら書きがなんかを見てこう言うんです。
「私達、平和の時代に生きているんですね」

0310_lunch_panel.jpg



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コメント

東京大空襲は、最大の3月のみならず、その前から敗戦まで8ヶ月間くらい
米国の執拗な爆撃が続いたそうです。
工業地帯の蒲田エリアは軍需工場も多く追加空爆されたそうです。
蒲田エリアだけで5000名の死者、東京全体で10万名の死者。
戦争とはあまりにもむごいですね。
蒲田の大工場といえば、JR線路から見えた新潟鉄工は、いつの間にかなくなりました。モノづくりの街、ナッパ服に誇りこそあった職人の街は変わりましたね。

Posted by: なつかしの蒲田 Date: 2010/06/24 11:51

なつかしの蒲田さま

蒲田は昔、職人の街だったんですよね。
隅田公園が死体でいっぱいだったことを覚えているから
どうしてもお花見する気になれないという人を
わたしは知っています。
たった65年前のできことなのに、
月日の移り変わりってホントに速いものだと思います。
蒲田の空襲の記録は残っていないことも多いようなので
放光地蔵のような記念碑は大切にしていきたいです。

毎年、8月15日に大田区主催の花火大会があります。
わたしはいつも参加していますが、
あれも戦争で亡くなったかたたちの霊を
おくるためのものだと思っています。

大田区は平和都市宣言というのをしています。
まあ、それはそれでいいんじゃないかと思いますが。

Posted by: ランチ Date: 2010/06/25 16:29










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